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問屋街のロースカツランチ

 簡単な夕食の後、ネットゲームの時間限定イベントをクリア、タイムラインをチェックする。平日の夜、特になにも面白いことはない。うまく肉体関係へ持ち込めそうな相手はなく、ネットのお付き合いだけで進展はなさそうな相手との、興味深くもいささか退屈なやりとりを、輪をかけて退屈なネットニュースを読みながら淡々とこなす。
 少し早いけど、今夜はそろそろ店じまいとするか。

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 たぶん、もう少し粘ったら腐れ縁の女や、海辺の彼女もログインするだろうが、どうも気のりしなかった。こういう微妙な心理状態の時、うかつに粘るとろくなことがない。
 俺は苦い経験から学んだんだ、こんな夜はさっさと寝るのがいちばん。最後にメールだけ確認しようとマウスを握り直したら、不意にショートメッセのアラートがポップアップした。おっと、海辺の彼女からだ。いつもよりちょっと早いな。戦闘ゲームの武装交換と視点切り替えを思わせる素早さで指先が踊り、大喜びでメッセージウィンドウを開く。すると、思いがけない内容だった。
『明日、朝そっち行っていい?』
 なかば反射的に『いいけど、どうしたの?』と返信しながら、うれしさよりかすかに湧き上がる不安感をあつかいかねていた。子持ちの人妻が突然、それも朝から来るって、いささか穏やかじゃない。もしかしたら、トラブル?
 なんて考えをめぐらせるまもなく、次のメッセが届く。
『午後から都心で用事なんだけど、朝イチでダンナを駅まで送るのよ。子供も朝練でいなくなるし、ちょっと寝かせてくれないかなって』
 素早く『どうぞどうぞ、駅まで迎えに行こうか?』と入力しつつ、受信ウィンドウに表示された彼女のメッセを再確認する。大丈夫、タイミングが良かったって、それだけのことだな。こっちも入力ミスとかないな、よし送信。
 念のため、到着予想時刻を路線検索するか、と思ったら『気にしないで、道順は覚えてる。でも、カギ開けてほしいから、ついたら電話してもいい?』とさらに即レス。あぁ、この反応はそういうことだ、楽しみにしてもいいな。
 部屋の錠前はシリンダ錠と暗証番号のダブルなので、錠前を開放してダイアルロックの暗証番号だけ写メすると告げたら、ちょっとわかってなさそうだった。念のため『暗号化するの面倒臭いから、気休めでも画像にして送る』と付け足したら、そこでなんとなく察しがついたらしい。ここまで神経質になることもないのだろうが、俺の習い性みたいなもんだ。
 そんなこんなで『寝てるかもしれないから、電話せずに部屋へ入ってください』と添えて画像を送る。彼女もそれを了解し、他にはおおよその到着予想時間と、それぞれ別に朝食を取ることなどを確認した。明日は早いので互いにさっさとネットから落ち、自分は遅めの風呂に入りゲームもせず寝た。
 年甲斐もなく興奮したせいか、明け方に目を覚ましてしまう。だが、どう考えても起きてたらだいなしなので、目をつぶって無理やり寝る。妙な時間に二度寝したせいだろう、おかげで彼女が部屋に入ってくるまで気が付かなかった。
 枕元に人の気配がしたかと思ったら、耳元で「お・は・よっ!」と、嬉しげなささやき声がする。あぁ、来たんだなと思いながら薄目を開けると、なんだか異常に楽しそうな彼女の顔があった。あっけにとられるようなニヤケ顔。
「キスしていい?」
 半分寝たまま軽くうなづいたら、いきなりネッキングと強烈なくちづけ、もちろん舌も絡めてくる。流れで布団の中まで入り込み、俺がパンイチで寝てるのを察知すると、とろけるような笑みを浮かべつつ「脱がしていい?」と聞いてくる。そう言いながら、既に彼女の手はパンツをずり下げていた。
 朝起ちに引っかかったパンツごとちんこを揉む彼女にうっとりしながら、軽く腰を上げたらあっというまに足首まで剥がされ、たちまち全裸にされてしまう。身体を起こそうとしたら、彼女は「ちょっと待って」と押しとどめた。布団から出た彼女は恍惚の面持ちでパンツの、それも股間の臭いを存分にかぎ、素早くラフなスウェット上下を脱いで全裸になってしまう。まさかノーパンで来たのかと驚いたら、脱いだ服の中にベージュのゆったりブラとパンツが見えたので、妙に安心してしまった。
「乗ってもいい?」
 そっと顔を寄せ、いたずらっぽく笑う彼女に、俺も微笑みで応えた。
 彼女は朝から濃い雫を飲み干し、あたたかなしぶきを撒き散らす。
 そして、すべてが終わった時には、さすがにふたりともぐったりしてしまっていた。
 とはいえ、このまま賢者の世界へ旅立つわけにもいかない。彼女にシャワーを浴びさせてシーツを洗濯し、おそらくマットレスも干さなければならないだろう。幸い、外は明るく、気持ちのよい青空を予感させていた。
 風呂場から出てきた彼女はやたら申し訳なさそうだったが、それでもどことなく嬉しそうで、正直ちょっと安心した。恥ずかしそうに「この歳でお漏らしなんて……」と恐縮する彼女へ、なにげなく「潮吹きは初体験?」と返した。
 心なしか、いや明らかに血色よく潤いと張りに満ちた肌の艶やかさと、なにかを悟ったように澄み切った眼差しをまっすぐ俺に投げかけ「うん、はじめて……」と応える彼女から、逆説的にそれまで耐えてきた乾きや餓えを感じた。
 朝食はまだなので、シリアルで簡単に済ませると告げたら、彼女はちょっと下品に笑いながら「朝飯前よ」と応えたので、いっしょに食べる。鳥の餌めいた穀物の加工品に干しぶどうやメープルシロップを加え、混ざったところに牛乳を足していくのだが、彼女はシロップを控えて少しだけ。砕いたぬれ煎餅めいた食感の、けして美味いとはいえない乾燥穀物を彼女ともふもふ食べ、食器を洗って束の間の甘いひととき。
 なにを語るわけでもなく、身体を寄せあっていれば心地よい。つい乳や首筋を愛撫したくなってしまうが、また始めると時間が足りないだろう。
 時計を見ると、軽く目を伏せ、彼女は身支度をはじめる。見事なほど丁寧にたたまれたスーツとブラウスを出し、スウェットやゆるい下着を大きめのビニルパックへ入れる。ふと手を止め「ごめんね~でも、ほんと気持ちよかった、ありがと」なんて、照れくさそうに笑われると、いとしさが募ってなにかを踏み越えそうになった。
「でもね、いっぺんやってみたかったのよ。寝起きドッキリというか、夜這い。やったらすごく興奮して、自分でも驚いちゃった。自分から襲うのって、興奮するね! 気持ちよかったし」
 スイッチが入ったのだろう「襲われるのも、襲うのもやってみたかった。でも、そういう欲求があっちゃいけないって、そう思い込んでたのよね」など、あれこれ熱く語る彼女の話を聞きながら、距離感があるから彼女は欲求をぶつけられたんだなぁと、そして【踏み越えちゃいけないなにか】は、やはり手前で足を止めないといけないなぁと、柄にもなくセンチメンタルな感情をもてあそんでしまう。そんな感傷を踏み潰すように、彼女が掃除機を使わせてほしいと求めたので、ポンコツの紙パック掃除機を貸す。彼女は先程のビニルパックへセットし、たちまちぺちゃんこにしてしまった。
 大きめのショルダーバッグに圧縮した着替えなどをしまうと、薄いパンスト姿でダークグレーのパンツスーツにブラシをかけ、立ち上がり、ハンガーを鴨居に引っ掛ける。柱にもたれ軽く足を組みながら、あごに手を当て「お昼、よかったら一緒に食べない?」と、彼女はあさっての方向をみながらつぶやいた。
 俺はあっけにとられてしまい、きれいな切り返しを思いつかない。なんとか「そのカッコで行くのはやめたまえ」と言うのがせいぜい。ごく軽く眉をひそめつつ、女教師めいた笑みを浮かべ、俺の額に軽く手を当てながら「ちゃんと服を着たら、いっしょに食べてくれるかしら?」と畳み掛ける彼女は、本当に返しが上手い。これは勝てないな……。
 もちろん、昼食は彼女といっしょだ。

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