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拷問人館の台所

本文

 小説「拷問人の息子」には、主人公のエル・イーホがメイドのヘルトルーデスらとともに台所で食事をとるシーンがあります。ただし、これは物語世界である「帝国」のマナーにおいて極めて異例というか、ほとんど非常識と言っても良いふるまいで、作中でも秘書のメルセデスからやめるように釘を刺されています。また、地球の西欧文化圏においても上流階級にはふさわしくない行為であり、それらを踏まえた上で主人公の非社交的でしきたりを軽んじる性格や個性を示しています。
 とはいえ、それはどちらかといえば作中世界における登場人物の関係性に対する伏線であって、調理空間と食事の場が一体となったダイニングキッチンが当たり前の現代日本では、主人公の性格や個性が伝わらないかもしれません。
 もちろん、エル・イーホたちが暮らす館にダイニングキッチンはなく、食堂と調理場は完全に分離しています。エル・イーホたちの館にはモデルとなった建物があり、そこでは母屋と別棟の使用人住居に調理場がありました。そのため、出来上がった料理は渡り廊下を経由して母屋の大食堂へ運ばれるのですが、これはホテルや旅館の大食堂あるいは客室と調理場のような関係と考えればわかりやすいかもしれません。また、作中でも調理場から食堂へ向かうエル・イーホが渡り廊下から中庭をながめているように、いったん戸外へ出てそれなりの距離を移動します。
 それだけ移動するのですから、どうして料理はもやや冷めてしまいます。できたての料理を提供されることに慣れている現代人は、エル・イーホのように調理場で熱々を食べたいと感じるかもしれません。しかし、エル・イーホのように「味」を重んじ調理場で食べるということは「儀式としての食事」を台無しにしてしまう、いわば冒涜的なふるまいなのです。
 現代人にとって自己の快適さや食事の味を優先し、当主の務めを果たさないエル・イーホは、さほど違和感のない人物かもしれません。ところが、帝国の人々にとっては社会不適合者そのものでした。もし、エル・イーホが拷問人でなかったとしても、このようなふるまいが知られてしまえば、やはり帝国社会に居場所がなかったでしょう。
 さて肝心の台所ですが、作中の設定では使用人住居の半地下一階(イベリア半島風の呼び方だと地上階、プランタ・バハ)にあります。先代のエル・ディアブロが、当主だったころは中央に据え付けられた大きめの二連かまどに火が絶えることがないほどでした。しかし、エル・イーホの代にはかまどの焚口を塞いで上に板を乗せ、完全に調理台として使っています。そして、食器棚や食品棚が据えられた壁面の隅には、飲み水タンクと食器洗い用の水道、流し台がありました。
 ただ、大きなかまどを塞いでしまったため、その代りに鋳鉄製の薪焚きかまど(レーニャ イエロ フンディド オルノ)を据えています。作中でヘルトルーデスが調理しているのも、その薪焚きかまどです。薪焚きかまどは現在でもけっこう使われていて、スペインでも様々なかまどが販売されています。

参考


 作品では英国esse社のIronheart wood fired cooking stove rangeを機能面の参考にしつつ、外見はロデラッギオ社の製品(エチャ デ イエロ フンディド ロデラッギオ)にしています。

 ただ薪焚きかまどの手入れは本当に大変で、掃除機が一般化していなかった時代は、全身がススまみれになる大仕事でした。幸い、作品世界となる帝国には「吸い寄せ玉」という掃除アイテムがあるため、ヘルトルーデスはそれを掃除機のように使って手入れをしています。

 さて、このような台所で調理される料理とは、どのようなものでしょうか?
 次回は、エル・イーホたちが口にする帝国の料理や食材をご紹介します。

名称など表記一覧

地上階
プランタ・バハ
Planta baja

鋳鉄製の薪焚きかまど
レーニャ イエロ フンディド オルノ
Leña Hierro Fundido Horno

ロデラッギオの鋳鉄の薪焚きかまど
エチャ デ イエロ フンディド ロデラッギオ
Hecha de hierro fundido Loderaggio

¡Muchas gracias por todo! みんな! ほんとにありがとう!