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2023.4.19

 買った時から挙動のおかしいマッキントッシュが動かなくなってしまった。あんな気分屋のパソコンでもなくなってしまうと大変困る。
 パソコンがないと、いま撮影している友人のアーティスト写真群を現像することができない。大変困った。急を要している時に壊れるものだ、パソコンというのは。
 こうして日記を書くのも、iPadだとなんとなく億劫だ。接続の切れたスピーカーを繋ぎ直す気力も起きず、部屋の中に静寂が訪れた。このnoteにもいつも通りのサムネ画像がつけられない。ぜんぶパソコンを経由しないと見られない外付けメモリーの中だ。ただでさえルーティーンを守れないすぼらなのに、ますますやる気がなくなってしまう。

 知人とレスバをした。たまに知人や友人とレスバトルをする。やってられないな、と思う。それぞれの人間が違う思想を抱いていることは素晴らしいことだ。だけど、違う考え方をしているというだけで、劣っているだの直したほうがいいだのと早合点して説教されるのはたまらないーーと、勝手に苛立ってしまうのは、私の方の問題だ。こういうときに、うまくケムに巻けたらいいのに。だって、最終的な結論なんかつまらない分岐の末に来るべき未来に落ち着くもの。自己成長。自分の悪いところを直す。アサーショナルなコミュニケーション。そんなこともうみんな道徳の教科書でやっただろう。
 いや、まあ、私の常套手段も似たようなもんだ。分裂。はぐらかす。極端な比喩。またやってんねえ、こいつは、全く話し合いにならないーーと、同じくらい飽き飽きしているだろう。

 割れちゃった鏡って素敵だ。私がいっぱい映っていて、どの私を見るか選ぶことができる。こんなにたくさんいるのならば、1人くらい極右の思想を持っていたって変じゃない。その1人を見つめて、なんだか見栄えがいいぞ、反応がいいぞ、と虜になってしまったら、私は、今後、「私はそういう人だと思い込む」ことができる。私はわりあいそういうのが得意だ。

 私にとって自我っていうのは、それくらいの意味しか持たないものなんだろう。

 その神聖な領域に、「自分の意識ひとつでどうにかなる」というような、新自由主義の風を吹かされるのがとても嫌いだ。無意識なめんな。いや、ただ嫉妬しているだけというのはよくわかっている。まともな理論を持たずに、感情的に。でもやっぱり科学主義の君たちは、進歩主義の君たちは、したり顔で「データによると」ってまくしたてる。うるさい、としか言えない自分が情けない。強くならなくてはな。
 もっと妖怪みたいな、シャーマンみたいな、脳みその右側を使った領域のものの、得体の知れないパワーのことが、大好きなのだ。まあ、そんなの、現代では話が通じないと一蹴されておしまいだ、よくわかる。

 もうほっといてくれ、そこから分裂されてくれ、殺してくれ。私は君たちの目に映る私のことを見たくないのだ。私が見つめた鏡像は、愛おしく、ロマンチストで、狂気的にひたむきで、私は私のことが好きだ。だけど君たちの目に映る私たちはどうしてそうも自己顕示欲でタプタプになって醜いのだろうか。私は、そういう鏡を見せられてこっちに近づいて来られたら、そういうふうに演じるしかない。演じるというか、言葉の節々に感じる「お前はこうだ」の蜘蛛の糸に、黙って絡まって踊ることでしか間が持たせられないと思っている。そう、「思っている」。この、非常に疲れる思い込みの激しさはなんなのだろう。エネルギッシュだ、端的に言えば。

 なるべく素直に喋って、なるべく結論をケムに巻こう。それから、私が1番好きな射程距離で戦おう。もう分かり合えると思ってはいけない、高校生ではないのだから。
 傾聴の態度が足りない。少なくとも、心を許すことができる人にしか、柔らかい部分を見せてはいけない。距離感を測り間違えてしまった。そう、傾聴の態度が足りなかったな。反省だ。
 だけどってこんなぐずぐずの甘えをぶつけられて私だけ「はいそうですか」と傾聴に徹するのも、なんだかやりきれない。人を馬鹿にしないでほしい。私のことを「お前」って呼ぶな。本当に嫌いだ。いつまで理解者面をしている?しかるべきタイミングで、縁を切ろう。本当に不愉快だ。いいことがひとつもない。

 ……という強めの感情をインターネットに放流して、たぶん次もニコニコと澄ましているのだろうな。私、突発的な怒りに飲まれがちなんだよね。アンガーマネジメントとかねむたい事を抜かしていないで、めちゃめちゃ怒って後からちゃんと読めるようにしておこう。そのほうがいいや。

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