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2023.06.15

 夜中にシャッター商店街を散歩していて、LEDの黄色点滅信号とクリーム色の月が並んで光っていて、こりゃひょっとしたら世界遺産よりすげーな、と思いました。
 なんだこの「町」という機構は。誰もいないのに電灯がずらっと並んでいるのがすごい。私の手には作れない柱が、ガラスが、レンガが、コンクリが、設計が、私の服が、Airpotsとサブスクが、Fishmansが、私の五感を通して、認知されている。凄すぎる。一体全体なんだこれは。世界遺産よりすげーよ。私はそんなふうに、頭の悪さがゆえに何にでも感動することができる自分のことがちょっぴり好きだよ。私、やっぱり、高み高みへと昇っていくための筋力をつける才能が、この体には、ない。

 弱っているときに他者は優しい。無職になってから、友人たちに弱みをさらけ出すことに抵抗がなくなった。今まで必死に外堀を埋めながら隠し通してきたボロボロのプライドは、もう、ない。もう何も、失うものはない。
 友人たちよ、私の話をふんふんと聞いてくれる友人たちよ。押し付けがましくない程度にと言葉を選んで、大丈夫じゃね?と伝えてくれる君たちのことを、無職になる前よりも、柔らかい心のうちで、好ましく思っています。ありがとう(照れくさいから、このnote絶対読むなよ、読んでも黙っててね)。

 カウンセリングの先生も優しい。ちゃんとお金を払って、人に話を聞いてもらうという儀式は、ちょっと奥の方に入ってしまった隙間の小銭に手が届かせる、場合もある。「感情のとりひき」とも言える人と人との会話において、「もう金銭で対価は支払いましたので、あなたに好かれる必要はないわけだ」と割り切れることは、楽だ。
 専門的なことは、プロに依頼をした方がスムーズに(負担が少なく)いく(こともある)。目から鱗だ。

 一方で、薬を飲むことはできない。これだけ定期的に飲み忘れてしまうということは、心の意識しない部分で、薬を飲むこと(ないし、薬を処方されているということ、薬を飲まなくては生きづらいというシステムそのもの)について、極めて強い抵抗感ないし違和感を抱いているらしい。まあ抱くわな。なんで君たちが不快感を抱かないために、私が薬を飲んで気持ちを落ち着けなきゃいけないんだ。私が気が狂いそうになる妖怪と対面させてくれ。話し合いさせてほしい。妖怪から気を逸らすというインスタントな解決策で、このお話はめでたしめでたし、とはしたくない。

 最も、これは、私の症状が世間一般的には軽度で、薬を飲まなくたって「死なずべくしてどうするか」という呵責にぎりぎり耐えうることができるからだ。辛くて辛くて命を経つか経たないかという瀬戸際のときには、薬は人間を助けるだろう。それから、精神科の先生からしちゃ「お前本当にやめてくれ」という感じだろうな。せめて嘘はつくなと。おっしゃる通りだ。でも、そこは、ごめん。

 友人が「何かになろうと焦る必要はない、あなたは今のままで充分ウケるし良い感じだ」と励ましてくれたことが嬉しかった。この言葉を入力している瞬間もやや鼻の奥が痛い。できた友人だな。友人の言った言葉が、その場を適当にあしらうためではなくて、言葉を選び選び、真摯に向き合ってくれたのだろうな、という誠意に満ちていたと感じた。
 人を疑い信じないということにかけたら、なかなか私の右に出る者はいない。そんな私が、友人と10年間一緒にいて、この言葉を信じなかったら、この10年間は泡に帰すだろう、と考えるのだから、その友人の誠実さといったら、ない。

 別の友人には「良いねえ」と思った人にはもっと身軽に「最高すね」と言った方がいいと教えてもらった。確かにな。だからこうして君たちを褒めそやす文章を書いている。絶対に読むなよ。
 その反面、嫌いな人とは無理して付き合わなくていいんだ、という、クリシェすぎ鎖に繋がれた当たり錠前(おもしろいダジャレですね)がグラグラグラグラ揺れている、台風が来たときのトタン屋根のような音を立てて。

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