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サブカル大蔵経1005安部公房『砂の女』(新潮文庫)


砂とは何か。
とりあえずサンシャインを念頭に読み進めました。

地上と地下の境目もほとんどない。
ふとしたところから奈落に堕ちる。
すぐそこに見える現実の世界が、
絶望的に遠い。

地上と地下とどちらが本当の居場所なのか分からなくなってきた。実は移動していないのかもしれない。

砂は決して休まない。p.15

流動性と無常性。だから怖い。

全身を麻痺させるような無力感…p.51

砂とは私を疲弊させる繰り返される日常か、世間そのものか。

安部公房の実家、旭川市東鷹栖。
ウチから車で五分のところです。

そこで3年前の真冬、猛吹雪で視界ゼロになり、車も埋まって、遭難しかけました。

安部公房的なモノがそこにいたのかも。


砂の流動に身をまかせてしまえば、もはや競争もありえないはずである。p.16

 定着という幻想へ導かれる。しかし、砂の中でこそ定住が求められる矛盾も。

「これじゃまるで、砂掻きするためにだけ生きているようなものじゃないか!」p.40
 
 
地上で自由とされる私たちは、何のために生きているのか?が突きつけられる。

女は自分の肘のあたりに視線をおよがせ、しかし意外によどみのない声で、「もう、お分かりなんでしょう?」p.59

 演劇的会話の濃淡を感じていましたが、現実と演劇の境目もなくなっていく。

「そうじゃないんだ。自分自身が、砂になる…砂の眼でもって、物をみる…」p.95

 砂は風景ではなく、自分と同化する。

「三軒おいた隣に、いまも、いるはずですよ。」p.113

 少しつげ義春的な世界を感じました。

「さあねえ…」老人は、世間話の席から腰をあげるような、さりげない調子で、「まあ、なにぶん、よろしくお願いいたしますわ…(後略)」p.147

本書で一番怖いのは、二人をとりまく平静な老人たち。誰の味方でもない。

あれほど熱望している自由は果してどんなものか、男は余り考えない。自由であった頃の生活を思い出すことが多いが、明るい記憶は一つもない。p.232

 なぜこの小説が時代や地域を越える普遍性を持つのか。今の私には生々しいです。

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