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サブカル大蔵経336松岡正剛『日本数寄』(春秋社)

〈利休好み〉とか〈織部好み〉という言葉があることを知ったとき、胸が高なったことを覚えている。そうか〈好み〉なのか、好きでいいんだ、と言う納得だ。嗜好と言えば狭くなる。傾向と言えば偏りすぎる。p.257

〈好き〉でいい。学者も仏教徒も組織でも好みをもつことを抑制されがちですが、好みを大事にしていい。みんな自分の好みを大事にしていい。これは、松岡さんの若者への暖かい提言であり、日本そのものを掘り起こすキーワードかもしれません。

暁烏は時代を梳いたのである。数寄とは何かを何かで漉くということをいう。p.370

すく。好みが時代をすいて、本質をうかびあげる。

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古代人は梅を漠然と好んだのではない。梅が枝と梅の香りを好んだ。p.8

 付随するものへの愛着。枝の存在。本体より末節に真実が宿るのかも。

もともと花柄は東アジアよりの起源を持っていた。ギリシアやローマには、花柄だけを描くと言う発想がなかった。仮に背景に花々が描かれていても前には必ず人間がいた。/平等院鳳凰堂や中尊寺金色堂の細かい植物文様。宝相華(ほうそうげ)は仏教荘厳の王様。天平期以降。それまでは葡萄唐草が主流。なぜ、葡萄唐草は負けたのか。/空海は「風気に文あり」と言って我々の呼吸の仕方にだって、文の力が働いていることを強調してみせた。これは日本語でも例えばアヤと言う言葉が「綾」と綴られて様相が鮮やかなことを示しているように、何か大事なものが編集されていることを暗示する。今日ではそうした文様の力があまり評価されていないと言うことである。文様は、そこに世界を出現させようとする意志だった。p.39.46.52

 文様の伝来と力。それは文化、文明そのものでした。今はどこにアヤがあるのか。

日本の情報文化ではコトはつねに事と言。どういうコト?のコト。コトワリは事割りであり言割り。/アマもまた、天、海、雨、編むも入っている。/訪れる神の思想があった。オトヅレとは音連れであって、このように神がやってくるときに音を伴っていたことを暗示した。数々の阿弥陀来迎図に見る歌舞音曲を奏でる供養菩薩たちの姿もわが国のオトヅレ、訪れの思想には、すこぶるふさわしかった。p.82.180

 ことばの音韻の根っこにおぼれる。

私はこうした電子リテラシーをさらに痛快に発展させるには、各ユーザが、自分なりのローカルデーターベースを充実していくことに将来がかかっているように思っている。言い換えれば一人ひとりの電子編集の時代が始まると言うことである。p.116

 荒俣宏さんの著作にもあったローカルデータベース。その思いで本欄もかきつけています。

日本人同士で日本のことを話しているとおよそ話が深まらないと言うことである。すなわち我々は我々自身の社会や文化を共通の言葉で理解しようとしていないのかと思うことがよく起こるのだ。こういう時に私は空海を思い出す。空海はまさに説明の天才だった。説明できる宗教。禅宗は不立文字以心伝心を信条とした。しかし空海は言葉による説明に立ち向かった。真言とは、そのような言語にひそむ真理を究極まで鑑賞してみせましょうと言う象徴だったのである。
般若心経秘鍵には、「お前が陀羅尼を解釈したのは仏教の聖旨にそむく。鳩摩羅什や玄奘が真言の陀羅尼の部分を翻訳せずにわざわざ音写残しておいたのになぜお前はそこを言葉によって説明をしようとするのか」と言う論難。そこで空海は「これを説きこれを黙する。並びに仏意にかなえり」と言っている。すなわち説明できるからといってそれで仏意が変わるわけじゃないと。言葉にできるのは当然だと言う立場なのである。p.130-133

 仏教とことばの問題。比較という手法。

問題は仏壇の壇の方である。/壇は仏教世界の模型であり壇には神仏が招来され配置されている。/武家社会になると往生語りに亀裂が入ってきた。いわゆる往生際が悪くなりかねなかった。そこで戦場でも極楽浄土に往生できるように各武将たちは陣僧を用意し戦場へ連れて行くことになる。この陣僧を買って出たのが一遍上人らに始まる時宗の遊行僧だった。こうして武士もどこでも往生できる体制が整った。/そしてついには仏壇となっていったのである。p.140.148.152

 仏壇の由来。壇が大事だった。

天蓋はセイントキャップの発展したもの。聖なる帽子なのである。かんかん照りの傘。炎天を避けて森に入った者たち。むしろ座ること動かないことが生命を保障してくれたのだ。ヒンドゥー哲学や仏教がほかならぬインドにこそ生まれた背景にはそうした熱暑と森林と言う関係があった。すなわち樹木がインド思想に与えた影響には大きいものがあることがわかる。p.160

 本堂の天蓋が森の思想を想起させる。

智顗はメディテーションのための浄土の仏として阿弥陀仏を選んだのである。/日本では正法も千年と数えるようになった。主として天台宗の中から喧伝されていた。終末思想の流行。p.174.177

平安浄土と鎌倉浄土の断絶が私の長年の謎です。日本の末方思想。天台宗からだったんですね…。

サンチャゴの海と熊野の海はつながっているんですよ。スペインと日本とは1つの観音浄土なんですよ。西田長男。p.178

 素敵な視点。でも死の視点。巡礼というどこでもドア。

禅僧は有り体に言えば半分が商人である。夢窓疎石は日宗貿易の指導に当たっていた。同朋宗はご意見番。時宗出身阿弥号。村田珠光。一休に逸気を学び、相阿弥に遊芸を学ぶ。全てを捨てきった丿貫とは違う、捨ててなお捨て切れぬものを残した利休の優位を感じる。丿貫には好みが欠けていたと言うことなのである。p.228

 この利休と丿貫の比較は、親鸞と一遍の比較にも通じるような気がしました。

千家と言うところは編集文化の担い手でもあったのである。p.236

 自らの系統を編む。本願寺も同じか。

ルネッサンス・完全・利休。バロック・逸脱・織部。織部イズム、美濃バロックと呼ぶも良い。/武人にして茶人の、アートディレクターであってプロデューサーであり陶芸家でも空間設計者でもあった古田織部と言う比類ない人物像そのものに、もっとあけすけな光を当てなければならない。p.236.248

 美濃バロック!

真と仮とが並立し、互いに別々の表現をとりながらも相互に響き合うことになったのである。仮名の文化草案。p.284

 漢字とひらがな、カタカナ。教行信証。真か仮か。仮が実は大事。

ソフトウェアを動かすOSは易や古来からの陰陽思想だった。三浦梅園のシステム理論、今日では条理学と呼ばれている。/梅園こそが江戸最大のシステムプログラマーなのである。p.306・314

 江戸の知性たちを今一度まとめてみたい。何回調べても発見があります。今は安藤昌益を読んでます。

もっとも仲基は仏教を否定したかったのではない。むしろ仲基のいう「加上」と言う方法論的提起によって仏教に大幅な軌道修正の可能性をもたらしたことが注目されるのである。こうした動向が鎌倉後期この形低迷にあえいでいた仏教の側にも思わぬ活性化をもたらし、かえって仏教宇宙論とも言うべき須弥山説の復活と武装が促進した事は興味深い。p.313

 仲基のおかげの江戸時代の仏教再活性化という貴重な視点。仲基は仏敵ではない。そのくらいのふところを持ちたいし、キリスト教的に言えば異端あっての生命力生命線。仲基的な提言がなければ仏教は滅んでいたかも。

もうそろそろ伊藤若冲を奇想の画家などと呼ぶのはやめたほうがいい。p.326

 外国再評価ゆえ。どこかたてまつり、手探りなのか。レッテルを裏返す見立て。

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