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サブカル大蔵経146赤木じゅん『あぁ、檀家に殺されるぅ!』(文芸社)

 リアルな僧侶の日常。自然な筆致。月参りも減ってきた今、記録としても貴重。

 坊さんって普段はどんな生活送ってるんだろう、と少しでも思った方には好テキストですし、僧侶としてもいろいろな共感と導きをいただける本でした。

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わしらは仏様のおかげで生きて行けるのだから、仏様のおわす本堂はいつも清めておかねばならんのや。p.19

 そういう思いもよらなかったことを親からある日、真面目な顔で諭される。お仏飯で育てられた。という言い方もあります。

強く惹かれたのはサンスクリット語チベット語といった外国語で書かれた古典だった。修士課程2年、修了式を持って寺に帰る。p.58

 惹かれなかったけど、この流れはわたしとまったく同じです。まったくの世間知らずで寺に帰ることになります。

この年の総代会ではお寺の駐車場拡張整備することが議題になった。前々から田山が総代になりたがっていたことに思い当たった。p.88

 毎年、仏法とは関係のないことで何かしらの議題があがります。寺院運営という現実。周りとのやりとりと軋轢。

相変わらず月回りに忙しく、午前9時過ぎに寺を出ると帰宅は早くて午後2時ごろ遅い時は午後4時を回ることもある。p.86

 午前9時から午後2時までの外回り。昨年までのわたしとまったく同じです。今は正午頃に帰れる日が半分くらいになりました。

その日までまともに休暇を取ったことがなかった。そもそも、寺には決まった休日と言うものがない。正月の1週間除いて毎月1日から30日まで檀家回りがあり加えて土曜日曜祝日には年忌法要の予定が入る。客が訪ねてくること、電話もかかってくる。さらに葬儀があれば予定をすべて組み替えになる。一般の役所や会社のように、日を決めて休むと言うことが難しいのだ。この週は特に予定が立て込んでいた。土曜と日曜に法事が3つ入っていて平日はすべて月参りで埋められている。他に地域の仏教会の会合予定があるので檀家参りの時間をやりくりしたり父に余分にうけ持ってもらったり、何とかスケジュール組んだのだった。p.94

 ほぼこのとおりです。

ところが金曜日の朝古い檀家から電話かかって、父が昨夜亡くなったと言うのである。「それで急な話になりますがなぁ、土曜日にお通夜、日曜日に葬儀をとり行いたいと考えとります。一応の葬儀は11時からと言う事お願いしたいですが、1つよろしくお願いできませんか」とパラパラと喋りかける。いやそれが土曜日も日曜日も年季法要が入っておりまして、お通夜は夕方からですからなんとかなるとして。日曜の午前は先約がありますよって、ちょっと…。ほとんどの喪主遺族は葬儀や法事を11時から始めたいと希望する。この時間帯は、まさに法事のゴールデンアワーである。寺院にとってはここが悩みの種で、法事の申し込みが同じ日に重なった場合どちらか遅い時間帯に移してもらわなければならない。するとその晩また電話がかかってきた。もういいですわ。葬儀屋に他のお寺を探してもらいましてそんなことでもうようなりましたわ。えろうお騒がせしました。p.98

 「11時がゴールデンアワー」これだけは覚えてください、というくらいのパワーワード。葬儀についても、やりくりしたあげく、結局「他でしますわ」は、今でもたまにありますね。今は葬儀は9時からが多くて、法事とは被らなくなりましたが。

 そんなことがあったのに平気な顔で納骨に寄ってくるんやからな。多分寺を墓地管理人くらいにしか思ってないんやろな。p.100

 ある意味正しいのかもしれません。それが現在なんだと思います。そしてそれも大事な仕事なんだと、わたしも最近ようやく気づきました。

それに加えて月参りの時間を指定してくる檀家も多くなった。こちらが効率よく各家を回るために最短のコースを考えるのだが、遠方にもかかわらず、朝1番に来てくれとか、何時までは留守だからとか言う。月参りは自分のところだけと思ってるような感じだ。しかしそれは贅沢な悩みだよ。つまりまだ檀家が多いからこそそういう問題が起きるわけだろ。p.101

 時間指定さんにはきっかりではなく時間の幅をお願いしています。昔は命日は一日中家にいる、みたいな雰囲気もあって、いつ訪れても大丈夫らしかったですけど、今はみな予定ありますもんね。寺側だって来訪者には時間指定したりしますからね。

不思議なものでしばらく葬儀がない時期があるかと思うと次々と続くこともある。p.105

 本当にその通りです。

もしここで自分が奥さんを布団に押し倒したらどないになるやろ。p.108

 お参り先の妄想情事。いつも大勢の家族のところがたまに女性ひとりの留守番で二人きりになるときは、あまり話しはしないでお暇します。

僧侶の暮らしが好きではないといってもただの務めが全て嫌いなわけではない。中には気に入ってるものだってある。寺の生活の中にも好きなものを見つけてそれを少しずつ増やしていけばいい。p.131

 私の父も、寺は大変なことも多いが、自分の時間を作って副業的な好きなこともできるぞ、と最初に話してくれた思い出があります。

檀家の人と旅行する企画を立てたらどんなものだろう?p.132

 この小説で描かれているように、近場の企画旅行や団体参拝旅行は、お互いの普段見られない顔が見られたりして、すごく大事な思い出になりますが、なかなか大変な企画でもあります。今や団体旅行するのお寺くらいなのか、旅行代理店の方々が季節になると私たちより詳しい本山のパンフレットを作成して来寺されます。

議題にかける前に、気難しい古老に話を通して説得しておく位の根回しはできるようになっていたのである。p.134

 根回し大事なんだなぁ。

まぁ役員の事は遠慮させていただいて、ごく当たり前の檀家としてお付き合いさせていただこうかと。p.141

 このセリフ私も聞いたことあります…

大きな葬儀が執り行われたものだった。会場に何百人も、3人5人の僧侶が回向したけれど、最近は坊さんはお一人でお願いしますと言われるになった。当初は奇異に感じていたが、じきにそれが当たり前になった。p.143

 まったく同じです。

父は檀家を大切にしてきた。檀家に尽くすあまりに自分を犠牲にしてきた一生だった。父が祖父から住職を継いだ当時、寺にはかなりの借金があったと言う。父の勤めはまずこの借金を返すところから始まった。p.156

 この一文にすべてが込められている感じがしますし、実はウチも同じで、父の苦労を忍びます。

おそらく父は檀家制度とともに生き、ともに老いた最後の住職だったのだろう。p.159

 私もその狭間にいて、身に染みる言葉です。父の世代のように感謝できていない自分があぶりだされます。

まずできるところから手をつけ始めた。寺にも休日を作ることがそれだった。月曜日を閉門日と決め、この日は月参りにでないことにした。p.160

 これできればいいなぁ。

法服を和装から洋装に変えた。寺で作る食事は回数を減らしていった。p.163

 私も普段の月参りは洋装です。

永代供養墓の建立。建立から10年後には合同墓の墓碑銘版を作り、その翌年には花壇型の個人墓を建立した。現在では合同墓、個人墓、厨子入り納骨堂、仏壇型納骨堂と4つの種類を備えている。p.169

 ここは参考になりました。

まだまだ寺は世間の波風から守られているのです。税金軽減、敬意。厳しさが足りない。p.184

 今のままだと、いつかブーメラン来ますよね。

毎朝の勤行を公開。参加者は皆自発的。p.189

 わたしも最近ようやく本堂で毎朝お朝事をするようになりました。年取ったのかなと思います。

朝食会、語ろう会、聖典を読む会。p.190

 ここも参考になりました。毎月の輪読会を始めました。

寺院主導の葬儀。骨葬。慌てずゆっくりと。p.191

 慌てない仏事。10年後どうなるかな。

 実は先ほど檀家さんから葬儀願いの連絡が来たのですが、枕経も通夜も法話もいらない〈一日葬〉でお願いしたいのですが…とのことでした。初めてのケースなのですが、明日行ってきます。

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