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サブカル大蔵経753松岡正剛『仏教の源流』(角川ソフィア文庫)

千夜千冊から印度学仏教学を選んだもの。

真宗にとっての法華経、華厳経、般若心経、声聞・縁覚、観音菩薩を想う。

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松岡正剛さんの印哲と仏教に関する編集。

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仏教を抹香臭いものにしたままでは、いけない。仏陀本人はラディカルで、アナーキーだった。p.5

 パンク・ブッダ。

ブッダはこの「外道」の中から登場してきた。p.19

 仏教こそが外道だった。

ブッダの思想は一言でいうのなら、世の中に幻想をもつなというものだ。p.21

 今や仏教こそが、幻想の代表になっていないか。正しく見る。正しく受け取る。

中村元さんはだからこそ、ギリシャ哲学を西洋史がくりかえり吸収したように、古代インド哲学を今こそ再生吸収しなければならないという。p.25

 世界の印哲。インド・ルネサンス。

漱石がいっときサーンキヤにかぶれていたことなどを知った。p.40

 私の恩師・今西順吉先生の研究対象でもあります。

ギーターにおける「法擲」はきわめて斬新である。/行為の結果を他者に委ねるということを、さらには「知」を最高神(ブラフマン)あるいはヴィシュヌ神に、いいかえれば自身の奥なるプルシャにいっさいを委ねることをいう。p.75

 法擲〈サンニャーシン〉。この他力的精神はヒンドゥのバクティにもなり、仏教の念仏にもつながるのではないだろうか。

日本人にはそれらを読む(理解する)ための大きなブラウザーがちゃんと据えられていないようなのだ。p.159

 宗派専用ブラウザーでは通用しない。それぞれの教義を読むための大きなブラウザーを持つ流れがこれから来るかな。

『般若心経』は「Heart sūtra」と言う。p.173

 心のお経

そろそろ仏教を、観音とともに本気で見たほうがいいということです。p.201

 三枝充憙『大乗とは何か』。音を観る。

それこそが声聞・縁覚の二乗の限界だったのだが、しかしこれを切り捨てることなく、p.250

 植木雅俊『梵漢和対照・現代語訳法華経』。三乗方便・一乗真実。声聞縁覚を切り取らない有難さと冒険。

維摩は摩訶迦葉に「かっこつけて貧者ばかりを応援するな」と言ったらしいのです。貧者ばかりというのは、慈悲心を示すために富者を避けて貧しい者ばかりのところで説法しているという批判なのですが、これはかなりきつい批判です。p.321

 大蔵経の良心、維摩教。現代にもつながる批判。利他とは何か。

ここにはタオイズム・道教・仏教・浄土教の間をつなぐまことに劇的な天秤が動いている。p.368

 森三樹三郎『老荘と仏教』。曇鸞が道教から浄土教へ横断した観経パワー。

ソグド人とウイグル人と仏教徒によって、マニ教はシルクロードを難なく東漸していった。中国では「明教」(光の宗教)という。p.405

 フォルツ『シルクロードの宗教』。阿弥陀思想の原点がここに。光の宗教。

日本に仏教が本格的に入ったのに比べて、なぜ道教が入ってこなかったのかということだ。p.438

 井上靖『天平の甍』での仏教と道教の選別のシーン。


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