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サブカル大蔵経269NHK取材班『さまよう遺骨』(NHK出版新書)

お骨というありがたくもやっかいな存在。聖になるか呪になるか。冷静にと思うが、自分がその立場になると、何かアクションを起こさずにはおられない。

もともとこの問題はNHKの番組「無縁社会」から始まったと思う。遺骨問題は、長期的なスパンや国際的な流れの中、常に過渡期のような気がします。だから、その時代その時代でのその地域のやり方が一番いいような気がします。

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あなたの遺骨を弔ってくれる人はいますか。p.14

 この設定が人を困惑させると思います。私とは、弔わなければならないものなのだろうか。弔うとは死者を訪ねていくこと。だから、弔うとは、あとの人におまかせするしかない気がする。故人の計らい通りになるわけでもない。子供に迷惑をかけたくないという言葉の背景に何があるのか。

市は無縁墓に入れることはできても、弔いができないから無縁仏にさえもできないんですよね。p.34

家族の役割を担う葬儀会社。p.93

 ここでの弔いとは宗教的儀礼を指すようだ。家族からも捨てられたお骨の行き場所を巡り、家族の代わりに奔走する自治体や葬儀会社のご苦労。本書では、行政の方々のお骨に対する真摯な丁寧さを感じる。モノだけど、モノとして扱えない存在。僧侶が協力できないのだろうか。

入札の結果、5ヶ月分の残骨灰に3700万円の値がついたと言う。p.43

 レアメタルは人体にあり。人体とは最後の自然であり畑であり海だ。

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