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【交換日記33日目】アーチスト


暑さ真っ盛りのこの頃ですが、皆様健康にお過ごしでしょうか?
てんてんさんの記事には熱中症対策について諸々記載ありましたのでぜひご参考にしていただき、健康的な夏をお過ごしください。

前回のてんてんメソッド、とてもいいお話であったと思います。
「世界を変えるのにはまず、自分が変わらねばならない」ということはてんてんさん以前の偉人たちも述べています。
鉄の女サッチャー、マザー・テレサ、ガンジー、中国の老子などです。

この手の原文というのは分かりやすくするためのアレンジを加えていってしまうものなのでなかなか見つけにくいですが、サッチャーのものはどうやら、インタビューの際に記者からの質問に対する答えとして、自身の父から受けた教えの一つとして話したもののようです。↓
(1)
Watch your thoughts, for they become words. Watch your words, for they become actions. Watch your actions, for they become habits. Watch your habits, for they become your character. And watch your character, for it becomes your destiny. What we think, we become. My father always said that. And I think I am fine.

↑これが原文のようですが、watch~for~の使い方がどちらかというとイギリス英語?文語?または古語的?な表現のようです。
このため、こちらの表現の方が出回っているようです。↓

(2)
Watch your thoughts, they become your words; watch your words, they become your actions; watch your actions, they become your habits; watch your habits, they become your character; watch your character, it becomes your destiny.

文章中にある「;」(セミコロン)ですが、よく見かける割に意味合いや使い方がボヤっとしている方が多いようです。学校では教えてくれないケースが多いからでしょう。
同じように「:」(コロン)がありますが、これとの使い分けが難しいですよね。
分かりやすいイメージとしては、「;」はそこで改行しても意味が通るもの、「:」はそこで改行すると意味が分からない、または変わってしまうものです。
言葉は口語から生まれて文語が作られるようになります。:と;は音読する際に音には出しませんので、文語ができてから登場した表現ですね。
これは全くの個人的推論ですが、タイプライターが生まれた時に、紙を使うスペースを節約するためにできた記号なのではないかと思っています。

言葉は口語(はなしことば)から生まれていますので、言葉をそのまま文字に起こすだけでは区切る場所が分かりにくくなってしまいます。日本語でも「、」と「。」とか、「()」とかそもそもこの「かぎかっこ」も読むときには適度な「間(ま)」を入れてあげてくださいね、という意味にもなります。

さきほどの文章に戻りますと、
(2)
Watch your thoughts, they become your words; watch your words, they become your actions; watch your actions, they become your habits; watch your habits, they become your character; watch your character, it becomes your destiny.

は、
(2)
Watch your thoughts, they become your words.
Watch your words, they become your actions.
Watch your actions, they become your habits.
Watch your habits, they become your character.
Watch your character, it becomes your destiny.
と書き換えることができます。
こちらの方がすっきりしますが、新聞の紙面などでこんな風に書かれていたら余白が気になりますよね。新聞は新聞でも、電子版であれば気にならないかもしれませんが。
ペーパーレスが進んでいくと、こうした文語表記の仕方にも変化が生まれてくるのかもしれませんね。
個人的にはまったく寂しいというような感じはしませんし、こうした変化を感じられることは貴重な経験だと思います。
紙の表現の仕方から電子媒体での表現への推移を感じられるのは、このタイミングしか無いわけですから。

このサッチャーの教え(正確にはサッチャーの父)は、
思考 → 言葉
言葉 → 行動
行動 → 習慣
習慣 → 性格
性格 → 運命

という風に変わるものだから、どう考えるかは十分気をつけなさい、もしくは、あなたの考え方次第で運命はどうにでも変えられる、という意味合いです。
いずれにせよてんてんメソッドはこのような偉人の裏付けを持つ教訓ということですね。
天使、つまりは神の使いであるてんてんさんらしいお言葉かと思います。

てんてんさんの場合、思考の変え方(試す、環境を変える、ルールを作る)にまで言及されています。
個人的に特に重要だと感じたのは、「まずは試してみること」の部分です。

赤木リツコ先生もこう仰っています。
「今を維持しようとする力と変えようとする力、その矛盾するふたつの性質を一緒に共有しているのが生き物なのよ」

本質的に生き物は矛盾した性質を持っているからこそ、変わることが大変なことだということですね。
・今を維持しようとする力しかない状態
・変えようとする力しかない状態
・その両方ある状態
この3つの内、どれが大変かと問えば、3つ目だというのは分かりやすいかと思います。
どちらかの力しかない状態であれば抵抗がありませんので。

すべての生き物はその両方の性質を持ち合わせているのかもしれませんが、人間の場合は思考する能力が他の生物より発達している分、特に大変に感じることでしょう。
そういう意味では、一色に染まることがなく、いろんな性質、色がある状態の方が人間らしいとも言えるかもしれません。

何をすべきか分かっていても、やりたくない、変わりたくない、このままでいたい。
だからこそ変える必要がないだとか、変える方向性が間違っているという理屈をこねようとする。
それ自体は生き物の性質でありますから、否定しにくいものでしょう。
変化することで生じる新しいリスクもあるかと思います。
ただリスクには許容できる範囲と、リスクに対する手当の仕方があるケースと、
許容できる範囲を超えるリスクが生じるものや、手当の仕方がないケースがあります。
モノによりけりですが、変化によって得られるメリットと比較しながら考えていけばそれでいいかと思います。
そうした検討をすることも、変化のための最初のステップです。

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【てんてんからMくんへの質問】
Mくんの好きなアーティストは?
熱く語ってください。
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本題に入るまでの序文が概ね2,000字です。
ここまで平均的なペースで来ています。

さて、好きなアーティストとの質問、最初に思いつきましたのが
「アーティストとはなにか?」という問いです。
A. 芸術家。特に美術家や演奏家・歌手をいう。(デジタル大辞泉)

では芸術家とはなにか?
A. 芸術作品の創作活動を行う人。(デジタル大辞泉)

だとすると幅広く芸術作品を作る人を指すのでしょうか?
こういう時は英英辞典を使うと勉強になります。
英英辞典とは、日本語にとっての国語辞典のようなもので、英語を母国語とする人のための英語の辞典です。
英和辞典ですと日本語に意味が置き換えられてしまいますので、細かいニュアンスまでくみ取りたいときにオススメです。

Artist
1 who produces art, especially paintings or drawings
2 a professional performer, especially a singer, dancer, or actor
3 informal someone who is extremely good at something(ロングマン現代英英辞典)

あえてこれを日本語訳しますと、
1. 特に絵画や線画などの芸術を創作する人
2. 特に歌手や踊り手、俳優などのプロのパフォーマー
3. くだけた表現として、特に何かに秀でた人
といった感じになります。
ただ一般的な言葉の印象としては、日本語で「アーティスト」と言うと、特に歌手のことを指すケースが多いかと思われます。ですからてんてんさんからのご質問は「Mくんの好きな歌手を教えて」という質問であると解釈することができます。

一方で、ミナミノツドイのMくんというキャラクターに求められている性質を踏まえた解釈の仕方としてこの問いを見つめなおすと、どうもそのままではいけない感じがあります。

多少なりとも独特のエッセンスを加えた解釈を以てこの問いに回答するのが良いでしょう。それがMくんというキャラクターではなかろうかと・・・。

つきましては、学校教育、特に義務教育に美術や音楽が組み込まれている理由について深く考えてみたいと思います。
芸術が社会に出たときに必要になる場面とはどういった場面でしょうか?

大きく2つの側面で必要になる場面が想定されるかと考えます。
1つめは芸術知識の側面。
例えば、ゴッホの『ひまわり』や、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』を観て、ゴッホとは誰なのか、モナ・リザとはどんな絵なのかを想像できないと、他人との会話が成立しにくくなってしまう場面があるものと想定されます。『モナ・リザ』をモチーフにした二次創作物に対して心に表れる感情が、芸術教育を受けて知識を持っている人とそうでない人の間に大きな隔たりが生じてしまうことは、コミュニケーションの阻害要因になりうると考えられます。
特に海外の人とお話をしている場面で、アメリカ人もフランス人も中国人も当たり前に知っていることを、日本人が知らないということがあっては、その日本人が恥ずかしく思ってしまうのではないか、という親心的な発想があるのかもしれません。
日本人同士であったとしても同様です。歌舞伎というものを鑑賞したことがなかったとしても、それがどんなものであるかは最低限のイメージができていなくてはコミュニケーションを取りにくい場面が想定されましょう。
そういう意味では芸術というものは、一つの文化圏で持ちうる共通認識・イメージを形作る印象そのものと言えるかもしれません。
例えば日本という国をイメージするときに、浮世絵や京都の寺社仏閣、富士山などを連想したり、イタリアという国をイメージするときに『モナ・リザ』などの油絵やピサの斜塔、ベネチアの運河を連想したりするようなものです。
もちろんこの例に必ずしも当てはまらないケースがあります。
例えばスイスという国のイメージとして、私が連想するのはアルプスの山々と時計ですし、オーストラリアならカンガルーやオペラハウスです。例外は多分にありますが、あくまでそうしたイメージになり得る、という意味では、芸術にはそうした側面があるのではないでしょうか。
ということは異なる文化圏の人、特に外国の人とお話しする際に、自国・自分化の紹介や両者の比較などの話をする際に、芸術作品は格好のテーマになり得ると言えるでしょう。

2つ目の側面は、創造性・共感性という側面です。
創造性とは個性の開発と表現力の向上を担うものと捉えられます。
その意義としては、個性の開発については多様性の理解に繋がり得るものであるという点で、平和的な人格の形成に貢献するとみなされます。
表現力の向上は、個性の開発と合わさることで新しい着眼点や発想での問題解決に役立つことでしょう。これらは芸術分野に限って重要な要素ではありません。社会に出て問題が生じたときに、それを解決する方策としてAかBか、というように択一的、または収束的に結論を出す必要のある状況というのは限定的かと思われます。むしろ、問題解決のための対処方法そのものを自身で作り上げていく必要がある場面の方が多いかと思われます。創造性の役立つ面は、無限大に存在しましょう。

共感性という側面はシンプルです。人間は常に誰かに助けられて生活を成しています。ジャングルの奥深くでへその緒の付いた状態で誰とも関わることなく生きて天寿を全うする人間は、もしかしたら存在する(または存在した)のかもしれませんが、極々少数でしょう。
他人の考えに共感せず、共感されずに生活していくことは、出来ないことでは無いのかもしれませんが、人間味の感じられる生涯とは言いにくいかもしれません。そういう意味で、共感性を向上させることは人間味のある人生を送ってほしいという親心的な着眼点を持っているのかもしれないですね。
他人の心に残った風景や人物の表情、心情などを絵画や音楽といった芸術作品を通じて共感することは、とても平和的です。


一方で、共感には扇動という側面を含むことには注意が必要です。戦争でのプロパガンダ映画やポスターなどをイメージすると理解しやすいかもしれませんが、他人との共感は、方向性を変えてやるだけで敵愾心を煽ることに展開させることも容易です。だからこそ、「創造性」の部分でご説明した、個性の発達によって多様性の理解につなげることが大事だということですね。

先日まーちゃが優勝したとあるゲームの名言で
「悪の反対は善、善の反対は悪じゃ。正義の反対は、別の“正義”あるいは“慈悲・寛容”なんじゃ。」
というものがあります。

バイキンマンは悪さをしてアンパンマンに懲らしめられることが多いですが、実はバイキンマンもドキンちゃんという女王に命じられてやむを得ず悪さをしているケースが多いかと思います。アンパンマンが本当に平和を望むのであれば、食パンを差し出してドキンちゃんを押さえつけるというソフトなやり方が良かろうものと思われます。

悪の化身とされるバイキンマンにも事情があるのです。
バイキンマンがバイキンだから悪とするのは乱暴と言えます。罪を憎んで人を憎まずの精神が必要です。

バイキンマンに「なぜこんなことをしたのか」という問いを根気よくぶつけることで、それまで思いもよらぬ恋愛物語を知ることになったジャム一家は、バイキンマンに「そんな女は早く分かれた方がいい」と説得するのです。
バイキンマンの諦めきれない恋を続けさせることは村のみんなの平和を危うくする。
ドキンちゃんへの恋慕を失くすことはできないかもしれないが、多少なり薄めることができるのであれば、迷いに迷う食パンも最終的には決心がつくでしょう。
肝心なのは、失恋状態にあるバイキンマンに対する手当です。私が思うに彼は一途な男ですから、そう簡単には元の状態には戻りません・・・。

月日が流れ、熱心なバタ子の指導の下で懸命にパン作りを学んだバイキンマンは村で一番のパン職人に。
身体を壊したジャム爺に変わって工場を任されるまでに成長した。ある朝、珍しく工場に姿を見せたジャム爺に気づいたバイキンマン。
「おやっさん、寝ていないとダメじゃないか。」
「ゴホッゴホッ。すまないねぇバイキンマン。でもさすがは村一番のパン職人だ。オーブンの火加減も完璧だね。」
「おやっさんには敵いませんよ。それにバイキンマンなんて名前はもう…。」
「そうだね。お前さんにはもうバイキンなんて名前はふさわしくない。これでワシも安心して逝けるよ。」
「そんな冗談が言えるうちはまだ大丈夫だよ。さあおやっさん、早く布団に入んな。おーいバタ子!」
「お母さんなら裏に小麦取りに行ったよ!」
母に代わりチズ男が両手いっぱいの薪を抱えながら返事をした。
「そうか。チズ男、それが終わったらじいちゃんを部屋に連れてってやってくれねえか?」
チズ男が返事するよりも早く、大きな悲鳴が工場に響いた。
「キャーーッ!」
「あの声は・・・バタ子!?」
放り投げるようにジャム爺をチズ男に預け、バイキンマンは工場の裏に走った。
ドキンちゃんへの思いを断ち切り、パン作りという仕事の愉しみを教えた上に、自分の命よりも大切なチズ男を生んでくれたバタ子が・・・危ない!!

息を切らしながらたどり着いたとき、すでにそこにバタ子の姿はなかった。
小麦袋の上には無造作に一枚の食パンが置かれていた。

だめや。恒久平和なんて無理なんや。

さて本題の好きなアーティストですが、これを歌手とした場合、挙げたい歌手が2人いらっしゃいます。

1人目は迷わず あいみょん さんです。

あいみょんさんの良さについてはご紹介するまでも無いですし、良いものは良い、ただそれだけだと思っています。私にあいみょんさんの良さをお伝えする文章力がないのと、そもそもあいみょんさんの魅力にとって、私のご紹介文は蛇足にすらなり得ないものです。

2人目は 福山雅治 さんです。

あまりこの件についてお話をしたことがないので好きな曲をご紹介いたしますと、

『ひとりきり歩いてく帰り道で』
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%82%8A%E3%81%8D%E3%82%8A%E6%AD%A9%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%8F%E5%B8%B0%E3%82%8A%E9%81%93%E3%81%A7/dp/B00URMRI24

『80 Proof』
https://www.amazon.co.jp/80-Proof/dp/B00URMT4K8

『Kissin' in the holy night』
Amazonミュージックでみつけられませんでした・・・
YouTubeにあるようですが、著作権的によくわからないので・・・

こんなところかと思います。

もちろん他にも好きな歌手はいらっしゃるのですが、きりのないお話になってしまうので以上にて。

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【Mくんからケイタへの質問】
お勧めのお料理レシピを教えて!
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