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noteを書けなくなった理由、本当はもう気がついている。

noteのアカウントを作ったのが、おそらく4年くらい前。
そこからしばらく放置して、しっかりと、ほぼ毎日投稿していた、いわゆるnoteにハマっていたのが2年前。

そのときの毎日投稿の甲斐あってか、今でも「みきてぃはnoteを書いている人」って思ってくれている人もいるようなのだけど、現実はというと、全然書いていない。

週に1回更新していればまだマシなほうで、月に2〜3回しか書かないなんてこともザラにある。

どうしてこんなふうになっちまったのか……

何度も理由を考えては「毎日noteを書きたい」という、よく分からない願望ばかりを、noteだけでなくXの中にも垂れ流してきました。

書きたいならさ、書けばいいじゃんって話よ。


ー 私がnoteを書けなくなった理由。

あんなに毎日更新していたnote、なんで全然書けなくなったのか。

前よりも仕事が忙しいから。在宅ワークになって、noteを書く時間に当てていた通勤時間がなくなったから。理由は色々ある、のかもしれない。

けど、本当はもう意気揚々とnoteを書けない理由に、ずっとずっと前から気がついていた気がします。


noteを書くのが怖いんだ。


毎日noteを書いていたあの頃、私にとっての「書く」原動力は、ストレスやネガティブな感情でした。

人に対してモヤッとすること、仕事であった納得のいかないこと、自分に対して感じている劣等感なんかを、自分なりの意見・考えで斬ることが、なによりの救いだったのです。

それをすることで、私がスッキリするだけでなく、同じ境遇にいる人たちが「めっちゃ分かります」と共感の声をくれる。
「みきてぃさんの考え方が好きです」といってくれた人もいる。

じゃあなんでそんなに赤裸々になんでも書けたか、というと、「私の身近な人は、絶対に私のnoteなんか読んでいない」という確信があったからです。

当時は私は会社勤めをしていて、そこで出会うモヤモヤやイライラを、どうにか昇華する手段がnoteでした。

人間関係もそうだし、組織に対してもそうだし。
もちろん、会社以外の話もたくさん書いてきたけど。

私のnoteを見るような人は、いい意味で私と距離が遠かった。
それが安心材料のひとつでもあったのです。

別に悪口を書いていたわけではないので、身近な人にも見られて困ることはないはずだけど「え、これ私のこと?」と思われたらなんだか気を遣うというか……。
そんなしがらみが一切なかったのが、毎日noteを更新していた2年前でした。


でも、今は状況がぜんぜん違う。


仕事で関わる人たちは、ほぼみんなSNSもnoteも繋がっています。

今後も悪口なんて書く予定ないし、別に気にせず今までどおり、感じたこと・思ったことを書けばいい。いいことも、モヤモヤをしたことも全部。

そう分かっていても「嫌われるんじゃないか」と怖くなってしまって「日常で生まれた感情をnoteに落とす」がもうできない。

じゃあよかったこと、ポジティブなことだけ書けばいいじゃん?と考えたこともあるけれど、もともとが根暗でネガティブな私。

もともと「書く」原動力が「負」であった私に、ポジティブだけでnoteを書くことは、どうしたってできない。

もちろん、キレイな温かい文章を書きたくなることもあるけれど、それは私の中ではわりとレアな方で、今なんとか月に数回保っている投稿は、そのレアはポジティブ感情なんですよね。

また前みたいに、毎日noteを書いてみたい。

「もう私はnoteの民には戻れないのかな」なんて寂しさとモヤモヤを抱えながら、今日も1日が過ぎてゆきそうです。

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