歌・サイバーパンク・電音部
電音部アザブエリア1stLIVE - MY STAR -を見ました。
会場は千葉県松戸市森のホール21。東京駅からJR武蔵野線を東へ約40分、新八柱駅からさらに徒歩12分。隣にはドデカい公園があり、テントを広げた家族連れやかぐわしいフードトラックが並び、豊かな緑、温かい春の日差しと湖畔から吹く風に溢れ……第一義に最高の立地。
別名は松戸市文化会館。その言葉のイメージ通り、会場の内装はシックで高尚。今回だけでなく頻繁にライブが開催される施設ではありますが、当日は別ホールでピアノの発表会も行われていたようです。長閑な春、都心を離れた憩いの空間、閑静な空気。静寂を破る客入れ。開演前 SPECIAL GUEST DJ BANVOX!!
最高のライブ。
周辺情報から文章を始めたのはライブ本編の良さを提示することが難しいからです。音楽は聴かなきゃ分からないし、ライブはその場にいなければ分からない。アニメも映画も自分で見なければ始まらない。それは作品というものの普遍的な性質ですが、電音部においては特に強いように思います。
ほとんど一瞬で切り替わる曲間、三人のキャストとダンサーが入れ替わり立ち替わり舞台に現れる構成、踊り続ける観客、途絶えることのない流れ。何かをよく見て考える暇がない。あるのは、光景と音響に対する反応と言葉以前の感情だけ。
シャンデリアとレーザーの煌めくステージで舞い踊る黒衣のダンス部。堂々と歌い大きく踊り、とんでもなく美しく振る舞う白金煌さん(演:小宮有紗)。キャラクター由来の気品とキャスト由来のステージパフォーマンスが噛み合って昇華され、去り際の一言まで観客の情緒をぐちゃぐちゃにする灰島銀華さん(演:澁谷梓希)。あまりに愛おしい人格から暴動寸前の楽曲をかます黒鉄たまさん(演:秋奈)。『いただきバベル』の完全にやり過ぎな高速クラップの中でも歌声が通る黒鉄たまさん(演:秋奈)。MCで発声練習を煽り、観客の反応を「……おもしろーいw」とほめて下さる黒鉄たまさん(演:秋奈)。
バカでかい音楽に身体が揺れる。右前の壁際で男性客がくるくる回っている。左後ろの女性客が誰よりも野太い歓声を上げる。ペンライトは少ない。みんなクラップと自分の踊りに忙しい。UOが灯る。画一的に回転することはない。誰にもそんな暇はない。
気持ちよく跳びながらくねくねしながら腕を振りながら、一つ疑問が浮かび、同時に解けていく感覚を覚えました。良いライブに対して考えることはいつも同じです。我々は何を見ているのか。舞台にいるあの人たちは何を/何のために/何を表現するために歌い踊っているのか。
同じ音楽題材の作品であっても、アイドルやミュージシャンを題材にしたアニメやゲーム、あるいは楽曲自体の連なりが物語を構成する形式の場合、そのタイトルを冠したライブに再演・具現化・追体験などの意義を見出すことは自然に思えます。特に作中ライブシーンで使用された楽曲であれば披露は場面そのものの再演となり、立ち会う観客さえも物語に参加したと思える……という構図が好例です。
一方、電音部の場合は話が複雑です。電音部のキャラクター楽曲はノベル等の物語上で要請されて登場する物ではない、つまり劇中で歌唱されるものではないからです。劇中の電音部は学校の内外でDJバトルをする部活であり、そこで使用されるものもあくまで作中世界の既存曲。つまり今このライブで披露されている楽曲は、作中世界では流れていないことになります。
「劇中で歌唱しないキャラクターによる楽曲」にはキャラクターソングという呼称もありますが、しかしそこに当てはめるのもしっくり来ません。得てして外伝的に取り扱われるキャラソン文化に対して、電音部の自称は「音楽原作キャラクタープロジェクト」。楽曲は外伝どころかメインコンテンツであり、むしろストーリーを明示するノベルこそ副読本のように扱われているのが電音部の現状だからです。
電音部の楽曲は物語に表出するパフォーマンスではなく、また外伝的・拡張的なキャラクター表現でもない。あえて楽曲の立場を物語内に探すとすれば、それは各キャラクターの内心の表現、思想の変換、という位置づけが相応しく思われます。
本人たちの意識・言語化とは無関係に、心に流れる感情や魂の在り方を音楽にしたもの。観客はそれを聞かされている。
となればこのライブは、内心の音楽が表出され観客が踊るこの状況は、存在しないキャラクターの魂を共有することで幻出させるロジックに他ならない。白金煌は、灰島銀華は、黒鉄たまは、この音の中に存在し、かつこの音楽によって成り立っている。
電子音楽とその反応が形成する魂。電音部はそのためにこそ歌っている。サイバーパンクだ。ネオン煌めく近未来都市の表層的なビジュアルイメージは、ライブという現実で本質を捉えた。
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