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あの時言われたかったこと。

人にあだ名をつけることが得意な小学生だった。

先生や同じクラスの子たち、ちょっと嫌な感じの上級生
ぴったりなあだ名を付けて、友だちに伝えると
「うわぁ!ぴったり!」
とすごく笑ってもらえたのが嬉しかった。

その人を観察して、その人の特徴を捉えて、一言で表現できた時の気持ちよさ、それを褒めてもらえた時の気持ちよさにうっとりとしていた。

だが、ある日、先生に呼び出された。
先生からは滅多に怒られたことがなかったので、「なんだろう?」と思って職員室に行った。

「○○くんに『××』ってあだ名をつけたのはあなたですか?」

と言われた。

先生は怒っているような、きまりが悪いような、小学生の自分から見ても「良いことを言われるのではないな」という顔をしていた。

「はい。」

恐る恐る答えると、

「それはいじめだからね。もうやめなさい。」

と言われた。

大人の頭で考えると、たしかにいじめだ。
先生は正しい。

ただ、その頃の私はすごくショックだった。

自分が得意だったこと、
自他共に初めて認められた自分の才能、
周りに喜んでもらえたこと、

あれは「いじめ」だったのか。

自分の中の「自信」が崩れ落ちる音が聴こえた。
私は知らないうちにいじめっ子になっていたのだ。

先生は正しい。
本人に自覚がなくても、誰かが嫌な思いをしたらそれは「いじめ」だ。
でも、でも、なにかモヤモヤする。
心がギュッとする。

自分があだ名をつけた子に「ごめんね」と謝り、家に帰って、犬を少しだけ撫でて寝た。

***

あれから20年以上経った今でもそのときのことを時々思い出す。

私は大人になった今、「言葉」が好きだ。

それは、あの時の私から変わっていないことなのだとふと気づいた。

あの時、「言葉」と決別しなくて良かったと思った。

そして、少女だった頃の私はこう言われたかったんじゃないかと思った。

「あなたは気付いていないかも知れないけど、あなたがつけたあだ名で、○○くんは傷ついているから、しっかりと謝りなさい。もうしてはいけません。でも、あなたが物事をじっくりと観察して、言葉を使って表現することが好きなんだろうということは分かります。これからは人を傷つけない、人を喜ばせることにその得意なことを生かしなさい。」

あの時、何を言われたかったのかすら分からなくて、ただひたすらに悲しかったけれど、33歳の私が少女の私を抱きしめることができた気がする。

いじめは根が深く、一言では言い表せないことだ。

された側の心には深くトゲが刺さるだろう。

だが、いじめっ子をいじめっ子にさせない言葉、いじめっ子の中のモヤモヤを払う言葉があるんじゃないかと信じている。

大人として、そんな言葉をかけられるようになりたい。

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