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「自分は存在するだけですばらしい」と「傲慢」

こんにちは、まきのです。


今朝、まだ布団の中でうつらうつらしながらランさんのキャスを聴いていた時、夢現にふと思ったことがありました。

「自分は居るだけですばらしい」って「傲慢」とはどう違うんだろう?


自分はいるだけですばらしい

スピリチュアルな方面でも、そうでなくても、あらゆる成功者の方々が

「あなたもわたしも、存在するだけですばらしいんだよ」

とおっしゃっているようです。


成功しているという実績のある方々が口を揃えて言うので、説得力があるというものです。


私は基本単細胞なので、「なんかすごい人がなんかすごいこと言ってる!」と思うと結構ストレートに受け取ってしまうのですが(笑)、この件も「存在するだけで価値があるということ」すんなり理解できたんです。

でもその対象が「私自身」になると、そうでもなかった。

「私も存在するだけで価値があるのか…そうか…?私が一体何の役に立ってる…?」と、自分に対して矢印が向くと「納得」はできなかったんです。


ちなみに、これ、「役に立たないと価値はない」って思ってるのが浮き彫りになってるんですが、いまnote書いてて気付きました(笑)


傲慢か?

さてそんな中、今朝ふと「自分は存在するだけで価値があるって思うって傲慢じゃない?」って思ったんです。

だって、私なんているだけで一体何に、誰に価値があるというのだろう?

私ってそんなにすごい人なのか?思いあがりなのでは?


でも、その後すぐに言葉が降りてきたっていうか「あっそうじゃないわ」って思ったんです。


「自分は存在するだけですばらしい」って、自分が自分を認めることなんですよね。めっちゃ「自分は」って主語自分になってるし。

つまり、ベクトルが自分に向いてる。


ベクトルの向き

このベクトルが外に向いて、「私はいるだけですばらしいんです」ってなると「傲慢」ってことになるんじゃないかなって。


外にベクトルが向くってことは他人に「私は存在するだけですばらしいんです」って知って欲しいってことですよね?

「他人に何かを求めている」ってことになりませんか?

他人に対して「私は存在するだけで価値があるよ」って伝えるって、何かメリットがあるから外に伝えるんですよね?


例えば

・私は存在するだけですばらしいんだから、もっと褒めて欲しい
・私は存在するだけですばらしいんだから、もっと仕事を振って欲しい
・私は存在するだけですばらしいんだから、もっと愛して欲しい

みたいな感じになりません?

だって、外にただ「自分は存在するだけですばらしいの!」って言うだけで、何も求めてないとしたら、それただの独り言じゃないですか(笑)

自分を認めて欲しいよーって外に自分を満たすことを求めてるんじゃないかって思ったんです。


あ、そうか、これって先日もちょっとかいた「他者承認欲求」ってやつですよね。これも今書いてて気づいた。


逆に、自分に対して「私は存在するだけで価値があるんだぞ」って教えてあげることは、自己承認を促すってことですよね。

外に価値を見出すんじゃなくて、自分自身が、自分自身に対して価値と存在を認めるってことですよね。…多分。


他者承認の対義語ですよね、自己承認。

やってることが全然違うんじゃないかなって。


おわりに

「私(まきのという存在)は存在するだけで価値がある」ということ自体は、まだ腑に落ちてないです。

それはインナーチャイルドだとか、魂の傷だとか、これまでの経験だとか、いろいろ原因があるんだと思うから、それを探ってます。

でも、「自分は存在するだけで価値がある」と思うことは、ベクトルがどこ向いてるかで、傲慢でも何でもなく、自分を愛することになるんだなって、そう思いました。

そんな、気づきというか思いつきでした(笑)

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