16kmの散歩、友人との会話。
緊急事態宣言がとりあえず解けた数日後、友人が地元にきた。感動の再会!
とまでは行かないものの久しぶりに家族以外の人と話す。髪の毛をバッサリ切った友人と2ヶ月以上髪の毛を切っていない僕。散歩へ出かける。
「ルートは遠い方と近い方、どっちがいい?」
「遠い方に決まってんじゃん」
彼とはよく歩く。大学講義のあとの10kmも、ヒッチの後の大阪から京都の70kmも、彼と一緒に歩いてきた。もはや「2人揃う=歩く」の方程式が私らの中で成立している。
彼はアナログな人間でチャットよりも電話、電話よりも直接を特に好む。
そんな奴だからコロナで受ける縛りも大きいよう。
就活の話をする。というより「これからの人生何ではっぴ〜になる?」の方が正しいかもな。山籠り、島生活、学生時代の廃校を止める取り組みetc...一般的な大学生とはかけ離れた彼は学生でも就活生でもなく、自分の人生を生きている。
2人の共通点である旅の話もした。
「尾道いきたい」
「自粛しんどい…」
「チャリでいこう」
「何日かかんだろな」
他愛もない話を続ける。でもこの他愛もない話にもはや懐かしさを感じた。
ZOOMやTeamsは何か議題やテーマを決めて話すのに役立つし、それは積極的に参加している。一方でなんのとりとめもない話を複数人でするとなると何か違う気がするし、通話にしても会話の偶発性が見込めないというか、感覚の点でも
「違い」は感じていた。
「ねこだ」
自粛が続き人気が無くなったからか、16kmの散歩の間に少なくとも10匹以上の猫と遭遇した。特に行きに出会った黒猫は人馴れしていて、僕らの足に擦り寄ってきた。
以前まではウルフドックを飼いたいと言っていた友人、猫に出会う度に
「あー俺も猫飼おうかな…」と漏らす。
威勢のいい彼もコロナでかなり参ってんだな〜なんて思いながら。
戯れ、駄弁りを続けているうちに目的地へ着いた。
「えっ、セコマじゃん‼︎スゲェー!」
彼とのもう1つの共通点は北海道で暮らした経験があるということ。
僕は札幌、彼は余市。
ちなみにセコマとは北海道発のコンビニエンスストアで内地では数少ない中の数軒が僕の家から数キロしたところにある。
はじめに「近い方と遠い方」というのはこのセコマのことだった。
僕はアイスコーヒーとアイス、110円のトマトスパゲティ。彼はザンギ。
お互いセコマと学生時代の記憶に思いを巡らす。
実はこのルートは私の高校への道に沿っていた。セコマへの道がその道だというのもあったけど、少し高校の方面に行きたい気持ちが芽生える。
「戻る?進む?」
「いいよ進んでも」
彼に出す私の問いには大体答えがある。正解。
とは言えここまで軽く6km、久々のおそと時間に足が小声で「いてぇ」と訴えてくる。それでも進んだ。しかしここで天気が崩れ始める。彼はバイクだし、名残惜しくも中途半端な場所から引き返すことになった。
帰り道、先日インスタライブ で男女の友情について喋ったことの話になる。
「友情に男女もないでしょ、ていうか二元論で考えるのナンセンスよね」と私。
「うん。男も女も友達いるしまぁ成立するんじゃない?」
社会問題とか論理的な話になると私達は聴きて話し手のポジションが変わる。
旅や周囲のこと、バイクの話になると話の主導権は彼の方に行くけど。
その後も僕が今勉強中のコンドームの話とか、2人の人間関係いろいろ話した。
遠方の親友と直接会って以外あんま話さないこと、親しいはずと思い込んでいたのにボールを投げても一向に返ってこないこと、
DSに3DSは差し込めないこと。
結局経験や思考を重ねてきた人の解像度を受け止められる人というのは、それだけの経験や思考を重ねてきた人なのだってこと。ちょっと残酷だけどネ。
ちょっと角ばった言い方したけど「類友」のこと。
少し残酷だけど、真理だなと思った。
夜ご飯は2年前働いてたラーメン屋。2年という歳月は近いようで遠かった。
知ってる面影はなく、私の記憶の中の店とは別物だった。ラーメンは旨かった。
「これからどうすんの?」彼に尋ねる。
「わかんない。とりあえず庭に池作る」
他愛もない会話、おそと時間。非日常な日常がはやく日常になりますよう。
ごきげんよう。
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