新型肺炎所感(20200801)末はコロナ禍、優生か

れいわ新選組から日本維新の会まで、コロナ禍の日本で優生思想がにぎやか。基本的に医師と当人(とその家族)の問題である尊厳死の尊厳に、生に優れた人たちが侵入してくる、その前に。

「オレが収めた税金で、生きるに値しない奴を生かす必要なんかないだろ?」という考えはわかる。私もそう思う。
ただし、それが私や私の愛する人達でなければ、の話ね。
でその「生きるに値しない奴」も「私」であり、その「私」を愛する人達がいるかもしれないことに思い至れば、人に例外なし、みんなが同じ教室の生徒なのだな。
生徒が生徒に「オマエは授業を受ける権利なし」なんて評価を始めたら、先生の立場がない。「死ね」なんて判決を下したら裁判官の立場がない。ひーふーみーと命に序列を着けたら神様の立場がない。
強者にオモねるのは弱者の常とはいえ、先生や裁判官や神様ならともかく、新コロや高齢化の危機にお追従してどうする。団塊世代を恨むなら、それを生み出した戦争をより憎むべきで、したらば彼らも団塊ジュニアも、戦争の犠牲者に違いあるめえ。

民主主義は民が主であって、選挙の勝利者ではない。選良の主は民であって、「我こそは『民』に選ばれた『主』なり」という認識は、主従が倒錯してる。

「オレの冷徹な判断で皆を救ってやるぜ」という困った正義漢は、先生の消えた漂流教室(楳図かずお)にもいたけれど、なぜ今の日本に増えているのか。各自、来週までに考えておくように。(先生か!)

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