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コロナ禍の、政府と私たちの関係について考えてみた。(6千字)

2020年6月。私たちがコロナと対峙しはじめてから、早いもので約半年が経過した。世界が経済再開に動きだし、これからの油断はできないが、春戦線はひとやま越えた感もある。
この数か月、国内のコロナ対応についての評価はさまざま。
しかし、政府そのものについては、どういう評価だろうか?

ここ数か月に感じた日本の政府と国民の関係性について、思ったことを忘れないうちにまとめてみた。
長くなってしまいましたが、よければお付き合いください。

1.「イケてない」以上でも以下でもない。

図22

時を少し遡り、コロナ前のことを思い出す。

2020年、何となく近未来的な響き。
プライベートをふりかえると、テクノロジーの発達のおかげで、それなりに素敵でイケてる生活を送れている気がする。

Facetimeで、日本の田舎に住むおばあちゃんと、いつでも電話できる。
マッチングアプリを使えば、これまで接点もなかったような人とデジタルをきっかけに付き合えるようになるかも。
noteを使えば、見ず知らずのたくさん人に、簡単に、タダで、オシャレに意見を発信できる。

一方、政府についてはそんな感じでもない。
(それなりに幸福な身の上から)一言でいえば、

普段、特に困ってもいないが、
特に良い思いもしていない。

■ 引越し、子育て、年金、医療・・・役所の手続きは不便だけど、年数回。不満は多いが、まあ死にはしない。
■ 財政赤字、年金制度、安全保障…問題とは思うけど、まだピンとは来ない。ニュースま少し経てば忘れる。ここ数年の政府スキャンダルも、自分に■ 直接関わりはなく、おいおい大丈夫かよとも思うが、それ以上でもそれ以下でもない

「役所ってイケてない」感はあるし、自分が払っている税金と比してお得なのかは微妙だが、

それなりにこの国はうまくまわっている。

と、思ってきた。
そんなところに、コロナが現れた。

2.噛み合わない気持ち悪さ。

図23

NYの医療崩壊の報道を見て、ビビった。

「これはほんとにヤバいかも」。

医療崩壊のリスク。現代日本に生きている中で、そんな危機があるなんて考えたこともなかった。

それまで当然と思っていた安全や安心が揺らぐ。
こんな風になったこと、戦後にあっただろうか?

自分たちの安心が本気で脅かされた時、えもいわれぬ不安感と無力感が湧いてきた。

連日、ネットやテレビには野党、マスコミ、人びとの様々な批判があふれかえっている。
でも無力感の根元は、政府の対応が遅いとか不便とかイケてないとか、そういうことではない。

人々は人々で、政府は政府で、一方的に批判したり擁護したりしているだけな気がする。

何かがおかしい。
会話がかみあってない。

3.ひとは一人じゃ生きられない。

図24

そんなこんなの政府だが、これはその昔、みんなで必要に駆られて立ち上げたものだ。

ひとが一人で幸せに安全に生きるのは難しい。
必需品を役割分担して調達し、外敵から身を守るため団結し、病気やけがの時はお互い助け合う。

そのために、個人は皆と協力して、社会のいちメンバーとして生きる
まさにこの言葉のとおりだ。

「one for all, all for one」
(一人は皆のために、皆は一人のために)

この協力のルールとそれを実行する仕組みとしてつくったのが政府だったはず。
今回も、特にコロナを経験してみんなで協力することの重要さと、難しさも改めて知ったばかりである。

ただ、一人きりで何もかも自由に暮らしていた時と比べて、集団の中での生活はいざこざも生む。

協力の目的(より良く安心に生きる!)は変わらないが、過去その時々で問題が起こるたび、社会の協力のシステムはアップデートされてきた。

4.政府のルーツと今昔

図25

たとえばヨーロッパの500年分の歴史を、早回しタイムスリップで振り返ってみる。

16世紀から18世紀にかけては、各地で革命が起き、市民政府が立ち上がった。
このとき政府の意義について様々な思想家が考え、同じような結論にたどり着いた。

Q「なぜわれわれは政府をつくったか?」
A「生命・財産・安心などの権利を安定させるため。より大きな自由を手に入れるための、共同の力で個人を守るための枠組みだ。」

一方、共同体(多数派)の意思によって、個人の自由も制約されるという点も指摘された。

*****

18~19世紀には、産業革命、工業化が加速し、労働者の搾取や環境問題、都市問題などが社会問題として出現した。

たとえば労働者の守る一貫として、社会保障制度が国のシステムに埋め込まれた。また皆が安心して分業、取引できる市場ルールが、国によって設定された。

一方、労働者が搾取される、市場経済の弊害をこのように憂慮する人たちもいた。
「人間が自分で作ったシステムに、逆に支配されるようになってしまった」

*****

そして20世紀には、戦争や経済恐慌が人々の不安を煽り、社会協力システムが大議論となった。
全体主義 vs 自由主義民主主義(多数決)vs 自己決定(個人の自由)、大きな政府 vs 小さな政府など。

また、こんなことを言う人もいた。

その昔、専制的な支配者(王侯貴族)との戦いを終えたと思えば、今度は、自分の権利を使いやすいように集めてつくった「権力」との戦いになってきた。

*****

個人の自由と安全を守るための協力スキームとしての政府を、いかに運営するか。
過去の人たちも悩んできた。

そして、思考は2020年に帰ってくる。

5.コミュニケーション不全の日本

図26

今年、突如やってきたコロナ。
いたるところで社会問題が噴出した。

ーステイホーム、したくても出来ない人もいるんだよ。
ー小中高はいつまで休校するんだ?この国にはオンライン教育できる環境はないのか?
ー国民にお金を配る作業って、そんなに難しいの?なんでこんなオオゴトになるの?

などなど。
コロナは、既にあった問題を一足はやく顕在化させた。

そして、ポイントは、今回の問題が誰もが多かれ少なかれ関係することだった。

これまで政治的無関心や投票率の低さなどが問題視されてきた。
が、それは「この国はなんとかなる(政府がそれなりになんとかする)」という安心感の裏返しでもある。

しかしその安心感が揺らぎ、問題が自分事となったとき、人々はいかに社会運営ができただろうか。

「思想の自由市場」という考え方がある。
人間が不完全な存在だから、様々な意見を考慮し実践してみることは有益だが、逆に意見の対立があったときに相互交流がなければ意味がない、というものだ。

ふりかえって今の日本。
意義、やり方、様々な批判があがるともに、政府の行動に何か裏があるのでは、という不信感。

政府側の発信も、野党の批判、マスコミの追及、人々の様々な投稿も、コミュニケーションが一方通行で、それが不信感が生む悪循環

政府という信頼の枠組み自体の脆さ。
を垣間見てしまった気がする。

6.私と小鳥と鈴と

図27

社会システムは、信頼がなければ機能しない。
どうすれば、お互いの信頼を保ちうまいこと社会運営ができるのだろうか。

そもそも、政府は万能ではない。

問題解決に必要な情報を、政府が最も多く持っているわけではない(今や色んな人が様々な情報にアクセスできる)。
■ 政府に特別、優秀な人材や能力やアイデアが集まっているわけでもない(政府はあくまで社会の中のいち組織でしかない)。
■ 政府の財源は無限ではない(そもそも納税した自分のカネである)。

また「権利の集合体」という性質からして、多様な価値観やニーズに、ひとつの中央政府が応えきれないのも、考えてみれば当然のことである。

一方、集合体である政府だからこそ得意なこと、やった方が効率がよいことはある。

① 日本として大事にする価値、社会運営の方向性をみんなと共有する。
□ Ex. 「人命を最優先する!」「個人の自由とプライバシーを守る!」とか
② 全国に対して、一律に同じことをする(政策)、一律のルールを決める
□ Ex. 統一基準で、全国一律にお金を配る
□ Ex. ソーシャルディスタンスを、6フィートと数値で出す
③ 政策やルールの内容、意義、目的を正しく説明する。
□ Ex. どんな支援政策、規制を設けるのか、ファクトを発信する
□ Ex. 何のためにやるのか、何はできないのかを発信する

こんな感じだ。

7.餅は餅屋

図28

逆に、政府以外のいろんなプレイヤーが多種多様にやったほうがクオリティが高いし、早い、ということがある(というか、世の中のほとんどがそうだろう)。
これは、先ほどのポイントの双子みたいなものだ。

①「社会で大事にする価値観」をベースに、

■ いろんな人がビジネス、助け合い、などなど様々な活動をする。
② 全国一律の政策、ルールを受けて、

■ いろんな人が様々な工夫をして、ルールをうまく実装する。。
(6フィート開けるため、スーパー各社が試行錯誤して効率的なやり方を見つける、とか)。
■ 地域、分野、経済事情など多様なニーズに、いろんな人が個別で更に上乗せすべきことを探す、実行する。
(自治体の上乗せ方針とか、クラウドファンディングで助ける、とか)。
③ 政策やルールの意義・目的を受けて、

■ いろんな人が多様な観点、スキルで、情報を役立ちやすいように加工・活用する。
(「○○業界の人が使える/ひとり親家庭が使える支援まとめ」とか、「政府のガイドラインをわかりやすく図式化してみた」とか)

*****

これをフィードバックとして受けて、中でも全国一律でやったほうがよいことを政府がやる
つまり、

「政府: 全国で統一的にやる」
↑ ↓
「そのほか様々な人びと: 多様に創意工夫」

という、得意分野にフォーカスするコラボだ。

人材も、財源も、時間も限られている。
全部はできない。

これが社会の役割分担で、政府と人々の相互作用だと思うし、実際に日本や世界のコロナ対応で起こっていたことだ。

8.日本社会のコミュ障脱却

図29

それはどうしたらもっとうまくできるのか。

肝は、政府が発信する「政策の意義、目的」だと思う。たとえば、

給付金はなんのためなのか。
 ービジネスの損失を補償して、会社の倒産を防ぐもの?
 ー仕事がなくなった人の生活保障?
マスクを配るのはなんのためか。
 ー買占めを防止し、医療従事者に行き届かせるため?
 ー効果が高く絶対に国民につけてほしいから?
感染追跡アプリはなんのためのものなのか。
 ー収束時期に、感染数をこのまま抑えるため?
 -秋冬の再来を、完全ロックダウン無しで乗り切るため?

などなど。

意義や目的がわからないままに、建設的な批判は加えられない。
議論がすれ違ったり、政府に対する人格攻撃になってしまう。

逆に、意図が明らかになれば、その意図、それを実現する手段がふさわしいものかを、中身をもって議論できる。
人びとも、政府の動きをふまえて、多様な工夫もできる。

*****

全米でコロナ対応が特に評価された、サンフランシスコ市長(いち早くロックダウンを始めた)がこんなことを言っていた。

「サンフランシスコ市では、我々(政府)が入手したあらゆる情報は、ネガティブなものも含め、いちはやく市民と共有しました。なぜ我々がこのような判断、政策を打ち出したのか、その意図について市民の理解と協力を得るためです。」

政府の広報戦略、といってもよい。

しかし、重要なのは「オシャレに」とか「複雑なことをわかりやすく」とかいうことではない。
(もちろん、出来るに越したことはないが、ここまで述べたように得意不得意がある)

何のためにこれをするのか、ということを伝える広報である。

これがあってこそ、その先で色んな人がオシャレにしたり、わかりやすくもできる。建設的な批判や議論もできる。

政府と人びとの相互交流のパワー、すなわち社会システムがうまく機能すると思う。

おわりに

図30

皆の安全安心のために、文字通り昼夜を徹して頑張っている人達が、知り合いにたくさんいる。
本当に倒れそうで心配だ。

美辞麗句ではなく、日本は多くの知性豊かで、真摯で、パワーのある人で成り立っていると思う。

一方、この数か月、世の中いろんな言説がゆきかい、「頑張ればいいって問題じゃない」というコメントもたくさんあり。
社会システムいかんによっては、協力がうまくいかないときもある

政府と人々の関係性や社会運営というと、よく選挙のことが取り沙汰される。あとは「自分で選んだ政治家だぞ」とか。

でも正直、みんなその時の自分にとってベストな選択をしたつもりだと思う(投票しない、とかも含めて)。
だから、こうした意識だけで問題が解消されるとは思えない。

それに、私たちは政策にいちいちかかずりあってるほど暇じゃない。
だから社会運営を、自分のアバターとなる政治家と、実行部隊である行政に一任する、という仕組みは効率的だし合理的だと思う。

時間もお金も限られているのは、政府も人びとも同じ。

より良い選挙システムとか、政治参加のあり方を考えることも大事だけど、人びとが社会システムを運営する方法はそれだけではない。
緩やかにコミット、協力する形式もあるじゃん。

と思って今回つらつらと書いてみた。

*****

私は自分の生まれ育った日本に愛着があるし、海外の友人達にも自分の国を誇れる。

そんな社会の中の信頼がボロクソに言われるのは悲しいし、逆にこれをまた乗り越えたら、もっと良い国になると思う。
(まずは、これからコロナ第二波に備えないといけない。)

ごたくを長々と並べても仕方ないが、思ったことを整理ついでに書き留めてみた。

ここまで読んでくださった方がもしいらっしゃいましたら、どうもありがとうございます。

図19


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