こだま先生のようになりたかった。
幼稚園教諭として6年勤め、この3月で退職し、先生とよばれる生活が終わった。新たな人生やキャリアを進んでいくために、今一度自分がどのように先生を目指したのか振り返ってみようと思う。
3歳、夢を目指すきっかけとなる出会いがある
幼稚園時代の数少ない写真や、自分の記憶の中に映るその先生。
確か、優しくあたたかいだけでなくしっかりと厳しさもあったような感じもするけど、思い出すのはいつも先生の優しい笑顔だった。
_____こだま先生。
いつしか自分はこだま先生のような、笑顔で溢れていていつまでも思い出してもらえる幼稚園の先生、あたたかくてみんなの拠り所的な存在の先生になりたいと思うようになった。
「幼稚園の先生になる」一択
必然的に幼稚園時代からピアノを習い始め、小学校では先生に字を褒められて書道を始める。中学校では英語を好きになり英語の先生もいいなと漠然と夢が広がる。高校は進学校で、レベルが高い先生や友人に囲まれて色々学び、周囲の友だち達の進路や夢を知って、さあ自分はどうしたいのか。
答えは一択だった。幼稚園の先生になりたい。
ずっとずっと心の中に存在していた夢。それ以外考えられなかった。
そうと決めたら大学は、保育士や幼稚園教諭の資格を取得できる大学に絞って受験した。他の選択肢を見ることはしなかった。もっと色んな世界を知っていれば、見ていれば・・・と立ち止まることもあったことに関してはまた記事にしようと思う。
一見漠然としている経緯にも確実に何かの後押しがある
今となっては『幼稚園の時の先生みたいになりたい!』と、理由が漠然としすぎていたなと思うけど、
よく振り返ってみると、今までの歩みには確実に後押しされているものがあった。
いつも笑顔で受け入れてくれたこだま先生、
字が綺麗だねと私の良いところを言葉にしてくれた先生、
半紙に赤い墨汁で丁寧に丸をつけてくれた先生、
私の転校初日にみんなで歌おうとピアノを弾いてくれクラスに馴染ませてくれた先生、
「まきちゃんなら次のプリントもできるんじゃないかな」と背中を押してくれた英語の先生、
多様な回答を良しとしてくれた国語の先生、などなど…
教育の場において、 気がつけば ”先生” という人たちから ”受容” されて育ってきたように思う。
その受容を受けていたからこそ、自然と先生を目指し始める自分、ぶれずに夢に向かえる自分がいたのだと思う。
漠然とした選択をした結果、天職に就いた。
天職であった幼稚園教諭をこの3月で辞め、自分のキャリアを考える中で色々な方とお話をする機会が増え、それぞれの今の仕事へ就いた経緯を伺う度に、なんて自分はざっくりした理由だったのだろうと思い悩むこともあるけど、
自信を持って言えることは、天職に就けて毎日幸せだったということ。自分なりの選択をして良かったということ。
ただ今後のキャリア選択では、年齢や今までのキャリア、自分がやりたいことを考えると、
漠然としていてはいけないと、解像度を上げて自分を掘り下げ、言語化していく必要があると感じている。
このノートは、第二のキャリアをどーーーん!と描いていけるように言語化し、情報収集する場にしていきたいと思う。