9/12『踊らされちゃいけない』

昨日授業の余談でオリンピックについての事に少し触れました。
近代スポーツが盛んになって、古代オリンピックのように『自分の強さ』を『神に捧げる』という主張をする事に主眼を置くだけでなく、スポーツに『人格的成長』も大切な要素として取り入れるようになった事が教科書には書かれています。

そしてそれが連合王国だけに留まらず、世界的な競技会になったのが近代オリンピック。
『各国の相互理解』と『世界平和』、『青少年の健全育成』を目標に掲げた運動です。
何とも素晴らしい👏

それがロンドン五輪辺りをきっかけに、各国の相互理解ではなく、各国の強さを競う為の競技会になり、ロサンゼルス大会以降は利潤追求が毎回激しくなっています。
今ではオリンピックに向けて巨額の予算を投入して選手強化に力を入れたり、ド派手な施設を作ったり、参加国も開催国も、あの手この手でオリンピックを成功に導く努力がされています。

でも最近思うのは、『それって誰のために?』
という疑問です。
『国民の元気のため!』
ん~まぁ確かに。否定はしない。
『もちろん経済効果!』
ん~まぁあるにはあるだろうな。
『世界の調和と平和のため!』
え~ホントに?…(笑)

何となく思うのは
『これだけのオリンピックを開催できる我が国は凄いでしょ!?』
『前回大会よりもいい大会だったでしょ!?』
『これは次回大会の開催国もプレッシャーだよなぁ!!』
『いっぱい予算組んで選手も強くなって、いっぱいメダル取って凄くない!?』

『要するにうちの国、凄いっしょ!?!?』

って一部の人が言いたいためだけの大会になっていないかな。という事です。

で、『前回大会の〇〇が悪かった』とか『次回大会は今大会みたいな事はできっこない』とか
他と比べてあーだこーだ言っている…
『自分達の方が優れている』と。
何とも寂しくなる光景です。

で、オリンピックが終わるとやたらめったらメダリスト達の特集が組まれて、『成功秘話』みたいに色々な話をしてくれますが…
「確かにメダルを取ったのは凄いけど、メダルに届かなかった人も凄いと思うよ?」
とも思ってしまう訳です。
番組を見てても明らかにメダルの色で扱いが変わる気がするし、悪く捉えれば『勝利至上主義』を助長してるようにも思えます。
ひねくれてるんですかね?僕が(笑)

もちろん選手たちのプレーや喜びの姿や悔しむ姿、それらを見て多くの感動を貰える事は確かです。
それによって元気を貰える人も沢山いるでしょう。「自分も頑張らなきゃ!!」と思う人もいるでしょう。
実際に、全員の選手を同じように取り上げるのは物理的に不可能な話ですが、勝った者がいる背景には負けた者が存在し、喜んだ者の背景には悲しんだ者がいる。そしてそれらを支えた者がいる。その全てをわかった上で、皆にリスペクトする事がスポーツにとってとても大切な事だと思いますし、スポーツに関わる者の責任でもあると思います。

また、オリンピックムーブメントの中には、『環境の保全運動』というものも含まれています。
にも関わらず、オリンピックで建設された施設の前にあったものは、数百年続いた森林だったという現状もあるそうです。

今回の東京オリンピックの新国立競技場の建設にあたっても、その計画の中に入っていた都営住宅の住民は立ち退きを余儀なくされたと聞きます。
我々が『自国でのオリンピック開催』というフレーズに我々が舞い上がってる中で、居住地を追われる方々がいらっしゃるという事をどれくらいの人が知っているか。

当初掲げた目標は素晴らしいものだったはずなのに、「何やってんだよ」と言わざるを得ない実態がある事。
「オリンピックという言葉に踊らされているんじゃないか?」
という気持ちにすらなります。

今年は流れてしまったオリンピック。
我々は観る者として、一方向からだけでなく色んな方面から、オリンピックの酸いも甘いも堪能する覚悟が必要なのかも知れませんね。

それなりにスポーツに関わってきた者から、あえて色々と思うことを書かせて頂きました。

では今日もよい一日を😌✨

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