「優しさはこういうものだ」って、自分の中で答えを決めないこと。

  

#やさしさってなんだろう  ってハッシュタグを見つけて。

 思い返すと、私は誰かに優しくされたことはあっても、誰かに優しくしようって思ったことはないなーって。

 というか、意識して優しくしようって行動することってなくない?

 「やさしいかどうか」を決めるのは渡す側じゃなくて受け取る側なんです。きっと、優しい云々なんて、渡す側が一生懸命考えるものでもなくて。

 ホストやホステスみたいに優しくすることが職業の人達だっているし、お金を払ってまでその優しさを求める人だっているわけで。それが外野の人達の中で正しくなくても、受け取った本人が優しいと思えば優しいし。私の夫だって、誰かから見たら正しくないかもしれないけど、私にとっては優しいし。

 だから、べつに強くなくても、弱くても、間違っていても、ズルくても、なんてことなくても、受け取った人が「やさしい」って感じれば、それは「やさしい」じゃん?って思っていて。

 それは「間違っているよ」って言う人もいるかもしれないけど、そもそも正しさと優しさは違うものだし。

 正直いうと、個人的には「優しいとはなにか」って血眼になって考えてる人や、「優しいの定義」がその人の中でしっかり固まってる人達があんまり好きじゃなくて。

 その理由は、なにかの拍子に暴走しそうな感じとか、一種のヤバい宗教に似た怖さとか色々あるんだけど。

 ふつうに醤油とる時にドヤ顔で「私やさしいでしょ?」感だす人と友達になりたくないじゃん。

 「こうだったらやさしい」なんてなくて、むしろ、やさしいの定義なんて決めちゃいけないと思っていて。

 なんというか、「優しさはこういうものだ」って、勝手に自分の中で答えを決めないことが大事なんじゃないかなって、おもう。

 
おわり。

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