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そんな自分が、好き?

日々、言葉と向き合っている。
感情や思考を言語化したり、無理に言葉を引き出そうとしたり、よけいな一言を言ってしまったり。

テクニカルにも向き合ってるから、辞書をめくって、正しく書こうとする。

けれども、正しくいるために生きてるわけじゃない。自分らしく書く・伝えるほうが、大事。

そんなふうにしていると、漢字とひらがなのバランスや表記のゆれ、いろんなことが気になりだすのです。

最近、村上春樹の「1Q84」と矢沢あいの「天使なんかじゃない」を読み返して青い気持ちになる。


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青豆は儀礼的に微笑んだ。
あのねえ、あんたの仕事がどうかなんて、こっちには鳩のクソほどの興味もないの、と青豆は心の中で思った。
こっちはあんたの頭のかたちが気に入っただけなんだからさ。
でもそんなことはもちろん口には出さなかった。
(村上春樹「1Q84 BOOK1 4月-6月)

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好きだったら 
一緒にいられるだけで幸せだもん
ささいなことでも うれしいし 楽しいし
それで充分だもん
むなしくなんかないよ
 (矢沢あい「天使なんかじゃない①」)

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言葉は、心を形あるものにする。

ふとした瞬間に、自分の本心に気づくときってあるじゃないですか。

「ほんとうはこうしたかった」とか、「あれを言われて傷ついた」とか。

そういうときって、身体でいうとおなかの辺りから言葉が湧いてきませんか。
子どもの頃に持ってた感情や、昔の思い出とか懐かしいものもそうだけど。

対して、大人の自分が、社会的に、常識的に、正しいことを言おう・思おうとしてるときって、上の方、頭の中に言葉がでてきますよね。

頭の言葉より、おなかの言葉を大事にしたい。

ここ1ヶ月間の発見。

それは、「そんな自分のことを、好きかどうか」確認すること。

今までずっと「本当はどうしたい?」って自分に聞いていたけど。

そういう在り方をキープしてると、社会生活の中でひずみがうまれてくることがあって、場合によってはモヤモヤする。

自分の本心と行動との折り合いがうまくつけられない。そうすると、結果として「そんな自分、好きじゃない」ってなるんですよ。

この問いって、自分を落ちこませずに、「じゃあ、好きになるにはどうしたらいいかな」って、建設的な思考ができるんですよね。(ちなみに、このときに落ちこんでしまう場合はインナーチャイルドや自尊心のチェックが必要。)

外見的なこともそう。誰かに好かれるために飾るんじゃなくて、自分が自分を好きでいるために、きれいにする。

モヤモヤしたら、「自分のこと、好き?」って聞いてみるの、おすすめです。



みずうみ
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