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銀座の辻斬りThank you

はじめに申し上げておくが、ここでいう辻斬りとは悪い意味ではない。

これは、過酷な残暑をきわめた、2024年9月の話である。

腹ペコだった私が、フラフラと入った銀座のロッテリアで、和風半熟月見絶品チーズバーガーセットを満足いくまで食べたあとのこと。

満腹となった私は、ほんの少しの登り階段をちんたら上がり、地下にあるロッテリアから這い出た。
すると、すぐさま太陽が私の全身をギラリと灼きはじめた。9月とは思えない酷い暑さだ。
私はこのあと新宿にも用事があったため、ロッテリアから目と鼻の先、地下鉄の銀座駅を目がけて歩きだした。

その時であった。

外国の方が一人、熱心に何かにカメラを向けていた。
どうやら、不二家の店先を撮ろうと試みているようであった。
先ほど私が腹ごしらえをしたロッテリアが入るビルは、一階が不二家である。

彼はその店先に、大きなレンズを携えた立派なカメラをジッと向けていた。
何が彼の琴線に触れたのかはわからない。ただ、静かにシャッターチャンスを狙っていた。

休日、快晴、真昼の銀座は往来が途絶えない。
私は歩みを遅めながら、どうしようかと考えていた。
というのも、私は彼の前を横切らないと、地下鉄の駅に入れないのである。

私にとっては見慣れた不二家も、彼にとっては何としても撮りたい対象なのかもしれない。
彼が手にしている立派なカメラが、それを物語っているような気がした。

私は可能な限りカメラの死角に入ろうと決めた。

彼のカメラの対角線上に居るままでは、私が写り込んでしまうかもしれない。
私は彼の様子をこっそり観察しつつ、ビル側から彼の立つ車道側へと移動した。

日傘をさすのももちろんやめた。うっかり写り込んで写真の出来に差し支えると申し訳ないからだ。

私はカメラを構える彼の緊張感にあてられて、ちょっと緊張し始めていた。電車に乗るため前に抱えたリュックをキュッと抱きしめ、少し背中を丸めながら彼に近づいた。
往来が途切れない場合は、彼の前を屈んでスッと通ろうと思っていた。

その時であった。

ほんの数秒、パッと往来が途切れた。

休日、快晴、真昼の銀座、数寄屋橋交差点前、不二家。
息を呑むような一瞬の静寂が訪れた。

こんなことがあるのかと思わずにはいられなかった。

カメラを構えた彼は「今だ」と言わんばかりに何枚かシャッターを切る。
その実、彼はとても冷静だった。勢い余ることなく、淡々と不二家の店先をカメラに収めていた。

無事に撮り終えた彼は、私の後ろにある有楽町方面に向かって歩き始めた。

そして、私とのすれ違いざま、彼は小さく、そして確かに「Thank you」と言った。

存在感を消していたつもりの私は、びっくりして何も言うことができなかった。
咄嗟にジャパニーズ会釈をするだけで精一杯だった。
まさかお礼を言われるとは。

地下への階段をゆっくり降りはじめて、やっと私は嬉しくなった。
彼の囁くような「Thank you」が、大きく心に沁みはじめていた。
時間にして恐らく2分未満、距離にしておよそ5m程度のささやかな協力であった。

改札に入った頃には、私の中の下町魂が、「へへ! いいってことよ! わりぃことは言わねえから、また東京にこいよな!」と、今更調子に乗り始めていた。

駅のホームで心を躍らせていると、すぐにツヤツヤで綺麗な赤い電車が滑り込んできた。
私は軽やかな足取りで、丸の内線に飛び乗った。

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