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えんとつ町のプペル展in名古屋(ナゴヤビルエンナーレ) 完

昨日無事に、えんとつ町のプペル展in名古屋(ナゴヤビルエンナーレ)が、幕を閉じました。


25日間。総来場者数は当初の目標を大きく上回った2,671人。

これもひとえに、来てくださった皆様、来れなかったけど応援してくださった皆様のおかげでございます。

最高の夢を見させてもらい、本当にありがとうございました。

写真は、開催期間中来てくれたお友達の皆様。
久々に会えた人もいて、嬉しかったです。
来年はこの人たちと楽しいことやります。多分。いよいよ、みんなで、20歳になります。

いつも支えてくれてありがとうございます。

今回こうして、ビル一棟を使ったアートフェスのプロデューサーという、新しい大きな挑戦をさせてもらい、有難い気持ちと同時に、正直不安で鬼気迫る毎日でしたが、そんな日々を支えてくれたのはお友達や家族。

改めてこういう人たちは大切だなぁと気がつけました。
それだけでも成長です。

行けなかったけど応援してくれたみんなもありがとね。
いつも助かってます。

そして、何よりも感謝しているのは、やっぱり、一緒に作り上げてくれた21人のスタッフ。いやいや、ボランティアスタッフの方々も含めてもっともっと。

全員で揃って写真は一度も取れなかったし、みんなにちゃんと挨拶もできなかったけれど(そんなことをしてる暇もなくバッタバタな準備も含めたこの3ヶ月だったけど)、本当に素晴らしいチームでした。

沢山迷惑をかけてしまったし、たくさん怒ったし、沢山感謝したし。

こんなにいろんな気持ちを共有できる仲間がいるのは本当に誇りです。

お世話になりました。

みんな天才でした。

僕は結局最後までみんなに追いつくことはできなかったけど、プロデューサーという偉そうな役割でペチャクチャテケトーに物を言う僕に付き合ってくれて本当にありがとうございました。

沢山勉強になりました。

こっから、また、一から、頑張ります。

その先でまた、何かご一緒できたら嬉しいです。

高校生の文化祭の打ち上げみたいなこと言うけれど、みんなで作り上げたこの1ヶ月のイベントは、いや、この1ヶ月の"作品"は、本当に宝物になりました。誇りになりました。

ありがとうございました。

ふと遡ってみれば、全てが始まったのは、9月に僕が主催した「ダイノジ大谷ノブ彦独演会in名古屋」の前日でした。

何気なく西野さんが行っていたクラウドファンディングを眺めていると、そこには「えんとつ町のプペル展を開催できる権利(30万円)」なるものが出品されてました。

ちょうど数週間前に、キンコン西野さんのトークライブを名古屋で開いたメンバーがいたので、そのトップの竜也サンに急遽相談

「オッケー!買ったわ!」

というぶっ飛んだ一言により全ては始まりました。

そこにビルをマネジメントしている新井康陽サンの想いも乗っかりまして、ついに始まった「ナゴヤビルエンナーレ」プロジェクト。


それから、2ヶ月間。
週に三回会議しました。
徐々につながっていく仲間。
徐々に増幅する想い。

プロデューサーという立場をいつの間にか仰せつかっていた私は、会議を仕切らせてもらうことに。
最年少の一番のアホが、大人たちを仕切るというトンデモナイ下剋上状態。

普通にやっても食らいつけるわけがないと思ったので、とにかく誰よりも準備をして毎回会議に挑むことにしました。

正直言って辛かったです。しんどかったです。苦しかったです。

会議をなんとか進めるために、パワーポイントの鬼と化す日々。
大学の空きコマでパソコンと向き合い、ウチに帰ってもパソコンと向き合い、会議中にもパソコンと向き合い。

とにかくパソコンと結婚する勢いで過ごした日々。

それでも、デッカいイベントが自分の手で着実に一歩ずつ完成に近づくのはとっても幸せでした。

辛さ以上に、楽しさが常に勝っていたのです。
いや、「楽しさ」なんて薄っぺらいもんじゃなくて、とんでもなく熱い思いが勝手に上回っていました。

頼りない出っ歯が出しゃばってプロデューサーなんてやったもんですから、スタッフの皆様をたくさん振り回してしまったとは思います。本当にすみませんでした。
とっても良い経験になりました。

あ、そうそう。このイベントを開催させるために、クラウドファンディングもやりました。

クラウドファンディングも、大成功。驚異の222%達成。スタッフの皆様がおもクソ頑張ったのはいうまでもないですが、兎にも角にも、支援してくださった皆様のおかげでございます。

ご支援いただき本当にありがとうございました。
皆様のおかげでこうして無事にイベントの幕を閉じることができました。
ありがとうございました!!!



さてさて、クラウドファンディングも無事大成功で終わり、次は、いよいよ設営。
11月も終わりにさしかかっていました。

ご覧の通り何もないビル。
ビルエンナーレは、これを4フロアも急ピッチで作り上げなければいけないのです。
各フロア、リーダをはじめとし、スタッフがやっぱり死ぬほど大奮闘。

私は持ち前の運動神経のなさで、身体を動かす系の作業はミジンコより力になれませんでしたが、美術班を中心とした天才が見事にギリギリ間に合わせて作り上げました。

天才というより、秀才ですね。本当に。お疲れ様でした。設営してくださった皆様、ありがとうございました。

そして、いよいよ前日。
東京から、このイベントのメイン、41枚の光る絵たちが届きました。いや、スタッフの人がトラックを運転して取りに行ってくれました。

ほぼ全員徹夜で作業。

もうこれだけで感動ものです。

熱い熱いチームです。

みんなの想いが溢れすぎています。


あっ、《ほぼ全員徹夜で》の、「ほぼ」というのは、私だけ家に帰ったからです。

すみませんでした。

家の布団で寝たかったんです。

スタッフのみんなは優しいので許してくれましたが、僕がもし、徹夜する側だったら、こいつ確実にぶっ飛ばしますけどね。

なにヘラヘラしてんねん。

禿げろや。

結局、ギリギリまでスタッフ全員が奮闘して、七階のえんとつ町のプペル展が全てが完成したのは、当日の午前10:00。
開場一時間前。滑り込みセーフ。
スタッフの頑張りに次ぐ頑張りで、トンデモナイ素敵な空間が完成しました。

後から聞いた話ですが、設営中

二回ショートして、火花散って、ビルの電気止まったらしいです。

ようそんなの乗り越えたな!
すげーな!みんな(他人事)

なにも力になれずに本当に申し訳なかったですが、本当にスタッフの皆様を尊敬した瞬間でした。

本当に本当にありがとう。

そして開幕したビルエンナーレ。
25日間の戦いが始まりました。

来てくれるお客様の笑顔でちょっと安堵する日々。

お越し下さった皆様、本当にありがとうございました。

ぼくは、お金とか地位とか名誉とかそんなものより、この瞬間を追い求めて、とにかく頑張ってきたのです。

お客様のおかげで、少しずつ報われていきました。本当に嬉しかったです。

あ、そうそう、もちろん、七階の「えんとつ町のプペル展」のみならず、他の階もすんごいクオリティで連日大盛況でした。

ビルエンナーレって、すんごいイベントだったんです。 なんてたって、すんごいスタッフが揃ってるわけですから!!

一週目は、とにかく全てがバッタバタ。
問答無用でバッタバタ。
締め作業も覚束なければ、その後に迫り来るグレードアップ作業の波。

このイベントをさらに良いものにするために、いろんな人が奮闘しました。
引き続き本当にお疲れ様でした。

相も変わらず、設営戦闘能力ゼロですみませんでした。

二週目は、メインイベント「にしのあきひろトークライブ」の開催がありまして、やっぱりバッタバタ。

トークライブについても、演出面や構成面でがっつり仕切らせてもらったので、なかなかハードでしたが、やっぱり、イベントは楽しいと再確認できた日々でした。


おかげさまでトークライブは大成功の大盛況。
やっぱり西野さんはクッソ面白かったし、会場の熱気もすごかった。
250人近くのお客様の笑いの渦は快感でした。

こちらも、お越しいただいた皆様、本当にありがとうございました。

そしていよいよ、三〜四週目。
ビルエンナーレも、グランドフィナーレに向かって、ようやく落ち着きだしてきたかと思った矢先、

まさかの、主催の竜也サンが体調不良。

いやいなにしてんねん!

最後に向かってお客様がどどっと増えて大変なタイミングで、なに体調崩してくれてんねん!

ほんで悪びれずになんでコナンのコスプレしてんねん!!


まぁ、とにかく、そんなことも含めて、いろんなことがありました。いろんな思いが生まれ、いろんな思いが消えていきました。

そりゃある。あって当然です。
ここまで、熱い思いを持ち続けて、三ヶ月突っ走ったんですもの。

それも僕だけじゃなくて、みんな、熱い思いを持って。

色々ない方がおかしい。

でも、全て終わって丸々1日だった今、思うことはただただ一つです。

感謝と楽しかったという思い。

あっ、二つになってましたわ。

今日漸く、スタッフのリーダーメンバーの話をじっくり聞けました。

泣きそうになりました。ほぼ泣いてました。熱くて苦しくてでも優しくて。

そんとき漸く気がつきました。

僕は僕が思う以上に素晴らしいチームで動かせてもらっていたということに。

そして、そう思った瞬間、全てが楽しい思い出に昇華されたのです。

いや、思い出なんて生ぬるいものじゃない。

楽しすぎる気持ちの塊に変わっていったのです。
その塊には、感情も経験も感謝も愛情も詰まってます。

こんなに幸せなことはないです。

お金や地位や名誉を超えて繋がれたこのメンバーで、トンデモナイ大きな夢を追いかけて、さらにそれを完璧に叶えてしまった、嘘みたいなこの数ヶ月は、本当に宝物になります。一生の。

最高ですよ。最高。本当に最高。

僕はとにかく、ナゴヤビルエンナーレに関われたことを誇りに思います。死ぬほど、死ぬまで。

スタッフ、お客様、本当に感謝感謝感謝です。

こんな未熟な僕に最高の夢を見させてもらって、さらに叶えさせてもらってありがとうございました。

このイベントはもう大切なものではありません。いつの間にか大切なものではなくなっていました。

大切なんかじゃなくて、今の僕の全てです。
大切何て言葉で上から評価できるようなことではなくって、僕は完全にその中に、このイベント自体が僕の気持ちの全てであって、出せる力の120%だったのです。

そんな、幸せなことある?!
こんなことを胸を張って言える幸せは凄いです。

本気出したぜ!!!

素晴らしい日々でした。
そんな愛しき日々に別れを告げるときがきてしまいました。
本当に哀しいけれど、お別れ。
いやでも、また必ず、みんなとも楽しいことしたいから、それまでにもっともっと自分を磨きます。

ビルエンナーレは、えんとつ町のプペル展in名古屋は、しっかりと愛で溢れてました。

本当に本当にありがとうございました。

お疲れ様でした。

さすがに私もヘトヘトなので、明日からはしばし冬眠に入りますね。
スタッフのみんなも、明日からは少しでも休めるといいな。

長文を真面目に書きすぎてしまいすみませんでした。
どうしてもこのタイミングで全てを書いておきたかったので。

何だか恥ずかしくなってきたので、最後にウッゼェ私の自撮りを載せて終わろうと思います。

幸せならそこにありました。

足りないところを補い合って一人前。
それでいい。それがいい。

僕らはそんな感じでやってきました。

これから、もっともっと楽しいコトしますね。

ありがとう、ビルエンナーレ。

2016.12.28 えんとつ町のプペル展
プロデューサー 水谷駿介

追伸
四年前と今年。
成長したぜー!みんなのおかげで!
中三のときに西野さんの影響でイベントを始めて、20歳になる前にもう一度原点に戻ってこれました!最高っ!


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