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灯火をかかげて #クリスマス金曜トワイライト

天井まで伸びるステンドグラスが、やわらかな影を落とす。
パイプオルガンと聖歌隊のやわらかい響きが、天井のアーチから降りそそぐ。
聴きなれた O Holy Night の片隅で、彼は隣で心地よい寝息を立てている。
何よりも愛おしい音。
マリア様、どうかもう少しだけ、この人を眠らせてあげてください。

 

クリスマスキャロルを終えた聖歌隊にあたたかな拍手が送られても、寝息は深かった。組んだ両手にそっと手を重ねると、ぴくっと身体を強張らせて目をあける。
「あぁ、冷えてるね」とつぶやいて、彼はあたたかな両手で私の手を包みこんだ。

 

❅ ❅ ❅ ❅ ❅

 

言い出したら、気の済むまでチャレンジする。
彼は、そういう人だ。その背中に憧れる。
だから、何も言わずに見守ると心に決めた。振り回されてばかりの仕事を置いて、自転車ロードレースに出ると決めた彼を。

あなたならできる。
あなたが決めた道を行けばいい。

背中をそっと押して、私は港になる。
目印に灯火をかかげて。

古いと言われてもいい。
彼が私のところに帰ってきてくれるのならば、それでも。

 

❅ ❅ ❅ ❅ ❅

 

彼の料理はあたたかい。
ろくに食べずにパースや模型に没頭してしまう私を見て、彼は親鳥になった。夕方、食材を抱えてやってきて、狭いキッチンでみるみるうちに彩り豊かな湯気をたてる。そして、私の満たされた顔を見て、仕事に戻ってゆく。
その、ゆっくり沈むえくぼを思い浮かべるだけで、心に灯りがともる。

彼がたまに休める週末は、“ふたり”を丹念に味わった。
ふたりで食べ、ふたりで眠り、ふたりで起きる。
週末はいい。
仕事に戻る後ろ姿を見送らなくて済むから。

見送る月曜日の朝は、せつない。
まどろみをこの腕に抱く幸せを、毎日欲しくなってしまうから。

そうして、私たちの暮らしは“ふたり”になった。

 

食事を作るのは彼、珈琲を淹れるのは私。
花を買うのは彼、生けて飾るのは私。
家具の図面を読むのは私、組み立てるのは彼。
髪を洗うのは彼、髪を乾かすのは私。
喉仏を撫でるのは私、ほくろをつなぐのは彼。

“ふたり”という単位に日々は色づき、味わい深くなる。

 

❅ ❅ ❅ ❅ ❅

 

彼が海外を転戦している間、私は努めて自炊した。2度目に会ったあの日、痩せこけてしまった私を覗きこんだ彼の瞳が、米を研ぐ私の手を動かしている。
キッチンに立つとき、髪を洗うとき、仕事帰りに花屋に立ち寄るとき、たしかに彼がともにいた。

それでも、夜中にパースを仕上げていると、暗い夜の海がひたひたと押し寄せてくる。
懸命に灯火をかかげるけれど、照らす先に船は見えない。
私の光は届かない。

不意に叫び出したくなる。
声のかわりに、目から水がぼとりと落ちた。

 

Zoomはおろか、LINEもSkypeもない時代。
一週間後の彼に、文字で語りかける。

 

こぼれ落ちた孤独の代わりに、夜空と同じ色のインクでしたためる。
「あなたならできる」と。

 

できる・・・できる。あなたならできる。

あなたにつながるこの空を見上げながら、その胸に秘めた熱い思いを、その血の滲むような努力を思うのです。

あなたなら、できる。
私たちなら、乗り越えられる。

 

それは、祈りだった。
書かなかった願いは、夜空に浮かべた。

だから、どうか怪我なく帰ってきてください。
本音を言えば、今すぐにでも、あなたを抱きしめたい。
いいえ、抱きしめてほしい。

 

❅ ❅ ❅ ❅ ❅

 

教会を出て歩く。寄り添う影は、長かった。
見上げる街はオレンジに染まり、空は刻々と色を変えていく。
川沿いの道は、どこまでも続いている。

「今日もいい日だったね。ありがとう」
静かに言う。

「今年もいい年だったね。ありがとう」
私を見つめる彼の瞳は、凪いだ海のように穏やかだった。

 

通りに面したバルの窓際に座り、生ハムとチーズを注文する。ブルーのエプロンの似合う店員は、微笑みながら、そっとビールを置いた。

「乾杯」

言葉を置くように、彼は、今年で自転車ロードレースを辞めると言った。
最終レースが2位に終わったこと、今年いっぱいでチームのスポンサーが降りること、やむなくチームは解散となったこと、メンバーはバラバラに世界へ散っていくこと。

 

沈黙のあと、伏し目がちに大きく息を吸った彼を見て、息が詰まる。
何を言おうとしているのだろう。もしかして、また・・・。

 

 

とつとつと、彼は再び話し始めた。
礼拝に寝坊した朝のこと、いつも仕事で疲れ切って寝落ちしてしまうこと、たまのわがままや、ちょっぴりだらしないこと・・・。

いったい何を言っているんだろう。
私にとって、それはすべて愛おしいところなのに。
口を開きかけた瞬間、彼はポケットから小さな青い箱を取り出して、目の前にそっと置いた。
メッセージカードが添えられている。

 

「・・・結婚してくれるかな」

 

思いがけない問いに、言葉が出ない。
頷きながら彼の手を包みこむと、雫となった想いが頬をつたった。
冷えた彼の指先を、あたためる。


 

「約束するよ。この気持ちが永遠だと」

彼はそう言うと、グラスを傾けた。ゆっくりと喉仏が上下する。
なんて美味しそうに飲むんだろう。
ゆっくり眺めたいと思った。満足気に伏せた睫毛も、穏やかな表情も。
毎日毎晩、彼のとなりで。

あぁ。この人が帰ってくる。
そう思うだけで、笑顔がこぼれ出るのが解った。

「・・・はい。よろしくお願いします」


メッセージカードには、ブルーブラックの文字が几帳面に並んでいる。
万年筆を手に、背筋を伸ばす彼の姿が目に浮かぶ。
愛おしさがこみ上げる。


おかえり。


いっしょに帰ろう。
小さなポインセチアを買って、美味しい珈琲を淹れよう。

私は生涯忘れない。
この聖夜に用意された、新たな人生という贈り物を。
灯台に新たにかかげる灯火は、彼の言葉。
この言葉は、私たちを乗せた船を永久に照らし続ける。

 

 

誓います。
凪いだ昼も、時化た嵐の夜も、彼とともにあることを。
永久の愛を。

こころから愛しているひとよ。
こころから愛しいひとよ。

あなたがグラスで、僕がビール。
目いっぱいまで満たしてあげたい。
あなたとクリスマスを一緒にすごせる幸せに感謝します。
いま愛していると伝えたい。
僕の愛の真ん中にはいつもあなたがいるから。

 

【追記】

この作品は、#クリスマス金曜トワイライト の参加作品です。

池松さん、今回も2作品でエントリーさせて頂きます! 

なぜこの作品をリライトに選んだのか?

ハッピーエンドの恋愛小説に、挑戦してみたかったからです。
(もちろんリライトなので、池松さんの物語を土台にしてですが)

恋愛をテーマにした物語には、悲恋やすれ違いがつきものです。
それは、映画でも、ドラマでも、音楽でも、小説などの文芸の世界でも。
それは、幸せな心理よりも、満たされない渇望や孤独に焦点を置いた方が、感情表現をより豊かに描けるからかもしれませんし、共感を得やすいからかもしれません。
何のデータも持っていないので、あくまで私の印象でしかありませんが。

以前、リレー小説の最終章を担当したときにも感じたことですが、孤独にあがく登場人物の心理を描いていると、書き手として、その人物をどうにかして幸せにしたいと思う時があります。
原作がハッピーエンドですから、リライトのなかで、孤独だけではなく、そこへ向かうプロセスをも描くことができる。
それが、私にとって大きな魅力でした。

 

どこにフォーカスしてリライトしたのか?

➀待つ側の感情の軌跡
原作には、“あなた”を置いてロードレースに出る主人公と、主人公を心理的に支える女性の存在が描かれています。
別れではなく、送り出し支えるということは、待つ覚悟をするということです。
私は、その女性の視点を通して、ふたりがプロポーズという新たなスタート地点に立つまでの感情の軌跡を描きたいと思いました。
その軌跡の大きな柱として、以下の2つを決め、その心情を描きました。
・ふたりで暮らした部屋に、ひとり残される孤独
・それまでに培ったふたりの愛を胸に抱き、前向きに踏ん張ろうとする健気さ

➁物理的な距離からくる孤独
物理的に距離が離れるという状態は、2〜30年前と現在では、全く心理的な影響が異なります。現在は、携帯端末とインターネットが発達し、世界中いつでもどこでも相手本人とリアルタイムで連絡が取れ、声も聞けるし顔も見られる状態ですが、かつては交換を間に挟む国際電話や、届くのに1〜2週間かかるエアメイルが連絡手段でした。
一緒に暮らす恋人たちが国境を挟んで遠く離れる状態は、とてつもない孤独です。

そういう時代に恋をするふたりの蜜月と、ロードレースで距離が離れている期間の孤独、そして祈りを描きたいと思いました。
ハッピーエンドの物語ですが、やっぱり、私が焦点を置いたのは渇望や哀しみ・苦しみだったのかもしれません。それがあるからこそ、聖夜のプロポーズが際立つのだと思っています。
このふたりが、幸せな毎日を築いていけるといいなぁ。

 

リライト企画、2作目は間に合わない!と焦って書いていたら、締切が延びてホッとしました。ホッとしたついでに、油断もしましたが。
無事に間に合って、良かった!
この週末にたくさん投稿された作品たちを、まだ読んでいないので、これから読みに行こうと思ってます!

この企画、12/18(金)19-21時にイベントが予定されているそうです。YouTubeでのライブ配信もあるそうですので、気になるかたは是非!

◆イベント内容(会場+zoom+youtube)
1:「いま何を書くか?」平山高敏さんと池松潤のトークイベント
2:応募作品・ノミネート作品の紹介(3分間プレゼンテーション)
3:サポーター紹介・コラボ協賛紹介
4:授賞式
5:受賞者による5分間プレゼンテーション(ZOOM)
6:会場とオンラインで全世界を結ぶ中継型・懇親会
  (12/18 授賞式イベントのお知らせ より転載)

※各賞と授賞選考ポイントについて
1:「選考委員賞」:あなたによって生まれ変わった恋の新しい原作を書いてくれた方へ選考委員会から贈る賞です。
2:「読み手・賞」:スキ・引用RT・引用noteを集計して一番多い方へ贈る賞です。
3:「書き手・賞」:リライトした書き手による投票数で選ぶ賞です。
4:「妄想賞」:妄想の激しさを基準に選考委員会が贈る賞です。
5:「イケマツ賞」:池松潤の独断と偏見で贈る賞です。正直わたしの好みです。すいません。
6:「覆面座談会・大手出版編集者・賞」:覆面座談会形式で大手出版社の編集者によるプロが贈る賞です。
  (【中間レポート】沢山の恋愛小説が嬉しい より転載)

同じ原作をリライトした作品を読み比べると、書き手の文体や表現や足されたエピソードで、様々な味わいがひろがって楽しいです。

みなさんの“スキ”や引用note・引用ツイートも投票になりますよ〜! お気に入りの作品を見つけて、投票に参加してみてくださいね!

そんな、参加者みなさんのリライト作品を集めたマガジンは、こちら↓



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水野うた
ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!