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母としての目的地 ―目指すのは「必要とされなくなること」

 熱を出した。・・・といっても、2ヶ月前のことだ。退勤直前に気分が悪くなり、トイレに駆けこんで嘔吐。腹痛はないものの明らかに体調が悪く、そこから丸々2日間、ベッドで死んでいた。職場が職場なので、発熱するとPCR検査を受けることを求められる。近所の発熱外来を予約したら、車で来院して車内で待機してくださいとのこと。
 のろのろとベッドから出る。38.5℃。鼻腔を通過する呼気が熱い。そう認識してしまった途端、身体はいっそう重くなる。車を運転してクリニックへ。たどり着くまで信号は3つ。ひとつ目の信号待ちは約2分。

 目を開けたら、前の車に接触していた。停止したところまでの記憶はあるが、そこからの記憶が欠落している。気づいたときブレーキペダルの上に足があったから、ブレーキが緩んで、クリープ現象で進んでしまったらしい。泣きっ面に蜂。もちろん発熱状態で運転したわたしが、100%悪い。相手の方には本当に申し訳なかったが、かけつけた警察官が優しくて救われた。
 ちなみに、予約時間に間に合わず数時間後になったPCR検査の結果は陰性だった。



 母親というのは、なんて因果な仕事なのだろう。
「仕事」なんて言い方をすると、貴重なご意見を賜ることになるかもしれないけれど、「逃れることのできない役割」という意味合いを込めて、あえて仕事と書く。

「母」という文字は、「女」に乳房を示す点がついたものが由来らしい。動物の雌として子を宿し、産み育てて、乳を与える。出産からたった1年ほどの授乳が形作った「母」という字だけれど、いったん母親になってしまったら、生涯 母親であり続けることになる。産んだら育てる必要があるし、子が成人してからも、ある意味ずっと母と子だ。

 はじめて産んだのは男の子だった。4kgを超える巨大児は、飲みたい分量の母乳が母親から出ないと知ると、甲高い声を発し反りくり返って怒った。必死で母乳を出そうとするも毎回「出が悪い!」と唸る息子が可哀相になって、わずか4ヶ月で母乳育児を諦めた。母乳を飲ませてから足りない分を哺乳瓶のミルクで補う、いわゆる「混合」ではなく、ミルクのみに切り替えた途端、息子は満足そうに飲むようになった。
 次に産んだのは女の子だった。2kgちょっとの保育器ベビーは、自らの体温を維持できるだけの脂肪もなくて、常に湯たんぽといっしょに寝ていた。飲みたい量と母乳の量が一致したのか、こちらは1歳くらいまで「完母」(完全母乳)で育てた。

 女としての自分に疑問を持ったことは多々あれど、母としての自分に疑問を持ったことは今までにない。



 ふたりの子は成人して、この春、同時に社会人となった。両手に幼子を抱えていたとき夢見ていた「子育てからの卒業」なのに、バンザイ!どころか、どこか生活のバランスを崩したような感覚がある。同じ時期に部署異動をしたことも関係しているかもしれないけれど、何をしていてもやる気がいまひとつ出ない。

 家から職場に通っている息子は、最低限の会話しかしない。どこまでがセーフで、どこからが「根掘り葉掘り」ゾーンなんだろうと思いながら、質問を選ぶ毎日。
 東京へ引っ越した娘は、都会での暮らしを楽しんでいるようだ。基本的にこちらからは目覚ましのLINE以外は積極的に連絡しないと心に決めているけれど、10日に1度くらいのペースで娘から電話がかかってくる。たがいに家事をしながら、娘の話を聞くともなしに聞いている。

 PCR検査を受けた晩、とろとろと眠っていたらスマホが鳴った。
「あ、寝てたの? なんでもないことだから、電話やめとくわ」
 娘の声に目が覚める。いま、何時なんだろう? 改めてスマホの画面を見ると、23時近い。
「ぜんぜんいいよ。明日休みだし」
「え? なんで明日休みなの?」
 寝ぼけ状態というのは、よろしくない。話すつもりのなかった発熱について話す羽目になる。

 娘からのこういう電話は、ほとんど何も用事はない。もしかしたら「元気かな?」くらいのものかもしれない。それでも、仕事や同僚、好きなバンドのライブやそこでできた友だち・・・話は途切れず1時間以上続くことがほとんど。
 そりゃあ、そのはず。娘は反抗期の数年を除けば、起きた瞬間から寝る瞬間までずっとわたしに話しかけてきていたのだから。3語文で話すようになった1歳半頃からこの春までの19年間、ずっと。

 仕事やライブからひとりで帰る1Kの部屋。話したい出来事やこころの動きは、きっと毎日少しずつ溜まっていくのだろう。楽しそうに見えて、充実しているように見えて、ほんとうは淋しいのかもしれない。そう思うと、こころの隅がさわっと揺れる。

 夕飯を作りながら、食べながら、洗濯物を干しながら、彼女は電話をかけてくる。様子を聞くたび、こころ弾む暮らしや、すこやかな人間関係が伝わってきて、ほっと胸を撫でおろす。

 こちらから積極的に電話をしなくたって、連絡がこれば楽しい。つかの間に取りもどす、母と子の時間。



 今年も職場にはツバメの夫婦が巣を作り、2サイクルの子育てをして、8羽の子らが巣立っていった。彼らは巣の外を飛びまわるようになってからも、本格的に巣立つまでは何度も何度も巣に戻り、親に餌をねだる。

 もしかしたら、いまはその時期なのかもしれない。いまだけかもしれない。いずれ、娘の話しかけたい相手が母親ではなくなるときが来る。
 もちろん、そうなるのが自然だし、そうなればいい。
 ベッドで熱に浮かされながら、娘の話に相づちを打ちながら、そう思った瞬間、胸のすみっこが ちりりとした。



 あれから2ヶ月、すこし長めのお盆休み。わたしはテレビの前や球場で、高校野球とプロ野球のダブルヘッダーやトリプルヘッダーをしながら、おひとりさまを楽しんでいる。息子は毎日のように友だちと出かけ、娘は夏季休暇をずらして取るのでまだ帰ってこない。

 10日に1度くらいの頻度だった娘からの電話も、いつしか間遠くなった。彼女は仕事が少しずつ面白くなってきて、自分が働いて手にしたお金でライブへ行く。下北沢や渋谷だけではなく、新潟や大阪へも遠征して。友だちが増え、プライベートが充実していくさまを目覚ましのLINEのわずかなやり取りから垣間見て、ひたすら元気で楽しく過ごせるよう祈っている。

 春に巣立ったこども達の空は、あっという間に広くなってしまった。
 でも、これでいい。これでいいと思った。わたしが母として目指した子育ての終着点は「必要とされなくなること」なのだから。
 もちろんどちらかが生きているかぎり、生涯「母と子」であることに変わりはないし、必要とされたらされたで喜んじゃうんだけれど、ね。

 自分を信じて、思いっきり羽ばたいておいで。


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