自分がご先祖様にになったとして自分の子孫を見つけられるか想像してみた
こんにちは。
みずきです。
ご先祖様の気持ちになったら自己否定などしている場合ではなくなった、と気付いた後。
ある日洗濯物を取り込もうと外に出たら綺麗な夕焼けが目に飛び込んできて
ふと、死んでもこの夕焼けは見えるんだろうか、と考えてみた。
考えた結果、おそらく、見えない。
なぜなら肉体がないから。
目も脳もないのに、どうやってこの色彩を感じ取れるだろうか、多分できないだろう。
だから、神様はいつも見ている、とか、ご先祖様はいつも見ている、の【見ている】の方法は、肉体がある私とは違う。
死んで肉体がなくなったら存在もなくなるか、といったら、多分、エネルギー的なものは残るだろうし、私は個人的には神様とかご先祖様とかそういったものの存在は否定しない。見えないけど、ある、と思っている。
仮に私が死んで、どういう手順を踏むのかはわからないけど、霊っぽい者なってこの世を彷徨うとしたら、今みたいに、目で見て、あ!子孫!守ってあげなくちゃ!と、子孫を探し出せるだろうか、と考えたら多分できる気がしない。
でもご先祖様に守られている感覚はある。
じゃあ私ならどうやって子孫を見つけるかな、と想像したら、やはり、類は友を呼ぶ作戦だろう、と思った。
なんとなく、自分と近いエネルギーなのかなんなのか、そういうものに引っ張られていって、結果子孫なり自分と近いものにくっつくと思う。
イメージは、水滴と水滴が引っ張り合う、あの感じ。
子孫が私を思ってくれたら、そのエネルギーは漂う私の魂には良い目印になるだろう。
ご先祖を想う、というのはそういう効果もありそう。
だから運が良い人には運が良い人が集まるとか、ご先祖様が徳を積んでいたら子孫も繁栄するとか、そういう結果はある、と思う。
もちろん、その逆も。
という、ごく最近の私の妄想でした。
そんなことを考えて今日も生きてます。
子孫を探し出せるようにちゃんと死ぬまで生きようと思います。
最後までお付き合い頂きありがとうございます。
みずき
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