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人びとの悲しみの記憶を巡る ダークツーリズム、知ってほしい

観光学者の井出明さんから、出版されたばかりの本2冊をご恵投いただきました。ふむふむと読んでいるところです。

こちらがおもに国内を扱っている「ダークツーリズム 悲しみの記憶を巡る旅」。(帯に著者の井出さんがいらっしゃいます。@北海道の網走監獄ですね)

こちらは、海外のダークツーリズムポイントも紹介している「ダークツーリズム拡張―近代の再構築」。表紙もとてもステキなので、帯をとって眺めてしまいました。

感想はじっくり読んでからにしたいので、まずはダークツーリズムについて自分が思っていることを書こうと思います。

わたしは旅が好きです。仕事が落ち着いた5年ほど前から、講義以外の時間をバイトに明け暮れてしまった学生時代を取り戻すかのように、年2回ほど海外旅行へ出かけています。

これまで訪れた国は、アメリカ(ロス・ニューヨーク・ハワイ)、キューバ、サイパン、台湾、北京、香港、ベトナム(ハノイ)、インドネシア(バリ)、フィリピン(セブ島)、シンガポール、モルディブ、ウクライナ、オランダ、ベルギー、フランス、イタリア、スペイン、ドイツ……(って振り返ってみると自分が思ってたより行ってるな…!)

なぜ旅に出るのかというと、自分の目で見たことや体験したことって【全然違うな】って感じるからです。(おいしいものを食べるのもミッションだけど)

自分で体験したことは、こんなに刺さるんだと痛感したのは、大学時代に3週間ちょっと、ドイツ・ベルリンで過ごした時。
ユダヤ博物館で、頭をがつーんと殴られたような経験をしました。

そこはメモリアルタワーというエリア。列に並んで入場するのを待っていると、ドアから十数人がざーっと出てきます。入れ替わるように、スタッフに促されながら入ると、外からドアを閉められてしまいます。

中は、薄暗い。タワーといいながら狭い部屋だな…天井だけ高いけど…。そんなことを思いながら、うろうろ。
他に人もいるし、狭いので、すぐ終わる。壁に何か削った跡とかあるけど、明かりは高い高い天井の隙間から漏れてくる地上の光だけで、よく分からない。

……長いな、すごく。

そう感じているのはわたしだけではなかったようで、近くにいた中年の男性も、お連れ合いの女性に「まだ出られないの?」みたいなことを言っている。

ようやく外からドアを開けてもらって、みんなでぞろぞろと出て行く。たぶん時間にしたら5分ぐらいじゃないかと思うけど、えらく長く感じて。

泊まっていたホストの家のお母さんに「こんな体験したよ~」と話したら、ぽつりと「ユダヤ人はもっと怖かったでしょうね」って。そうか、そういう「怖さ」を五感でも感じさせようとしている展示なんだ…とやっと分かった。

その3日後ぐらいに、同じドイツ語のクラスをとっているクフィアというユダヤ人の男の子と、フィリピンから来た女の子と、3人でベルリン郊外の「ザクセンハウゼン強制収容所」へ出かけた。
その頃のわたしは本当に知識もリスニング能力もなくて(あ、今でもだ)、英語で「週末に一緒に行こうよ」と誘われたとき、クフィアの言っている場所がなんのことか分からなかった。前日に調べて「え!?ここにユダヤの子といくのか…。どんな話をしたらいいんだろう」と青くなった。

すごく広大な収容所跡地。多くの建物がもうないので、だだっ広さが際立つ。ユダヤ人、各国の政治犯ふくめ、20万人以上が収容されたそう…

どんな話をしたらいいか悩む必要なんてなかった。監視塔、有刺鉄線、手術室や遺体安置所、粗末なトイレ……そこにいるとき、誰も何も言えなかったから。

帰りのベルリンまでの列車も、ひどく重い気持ちだった。

こういう場所に来ると、これまで見たり読んだりしてきたユダヤ人虐殺・第二次世界大戦を扱った映画のシーンや本の描写が、より心に刺さってくる。

それからというもの、どこかへ旅をするときには、「何かを見て・知って帰りたい」「過去から何かを学べる人でありたい」と感じるようになった。

前置きが非常に長くなりましたが、わたしが井出さんの記事を読んで「ダークツーリズム」という言葉を知ったとき、「あぁ、わたしのしたかった旅はこれだ」と、胸にすとんときたのを覚えています。自分の旅に「名前」を与えてもらったような気がして。

たぶん、みんな意識せずダークツーリズムをしていると思います。広島の平和記念公園の「灯」の前でそっと手を合わせるとき。太平洋沿岸の防潮堤を前にして7年前に思いをはせるとき。

でも、つらい体験ばかりをトレースしていたら、旅人自身がどんどんつらくなります。個人的には、楽しい旅のついででいいので、ダークツーリズムスポットにも足を伸ばしてほしいな、と思っています。「学びにいくんだ!」と意気込んで行くより(いやそれもステキですが)、ふらりと訪ねたことで「いま楽しく旅ができるありがたさ」をしみじみ思うことの方が、わたしは多いので…。

ちなみにこのnoteの写真は、3年前に訪れたチェルノブイリと、ウクライナのホロドモール(1930年代に起こったソビエトによる人工的飢饉)の追悼碑近くから見渡したキエフの街並み。
この旅から考えることもたくさんあったので、また整理したいな。

次の旅はポーランド・アウシュヴィッツの予定です。ずっと行きたかったところ。ベルリンの経験から10年以上経ってしまったけど、きっと今だからこそ感じることがあると思っています。

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