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いい退屈・悪い退屈・ふつうの退屈

どうも。たまに
『仕事嫌すぎる発作』に悩まされる
社会人1年目・瑞野蒼人です。

その経緯はこの記事からお読みください。

退屈さはなぜ生まれるのか

あれからちょっといろいろ冷静になって考えてみました。なぜこんな発作が突然起きてしまうのか。もしかしたら社会人ってみんなこういう退屈さを抱えて生きてるんじゃないかなぁって思って。じゃあどうすればその根本を治療できるのか。

というのもね、多分ここで考えてあらかた芽をつぶしておかないと、今後の生活にも関わるなと痛感しまして。結局人間ってどこかで働いて社会に関わってないと生きていけない。でも、そこでもしまた同じように『退屈すぎてやってられない』っていう発作が起きてしまったら何をするか分からない。まして、家族や子供を持った後の発作はより苦しい。だったら背負う物が無いうちに自分で解決しておくのが得策じゃないだろうか。

なので、あれやこれや考えてみました。そして、私はあることを思いついたんです。それは人間には『いい退屈』と『悪い退屈』があるということ。


いい退屈・悪い退屈理論

いい退屈、というのはつまり『気分転換になる退屈』。例えば、家の中で掃除や洗濯や片付けで忙しく動き回って、それが全部終わった瞬間ふとベッドに倒れ込んで、ぼーっとする。これは、忙しかった状態から急に解放されて退屈さはあるけど心が安らいで落ち着くという、自分を満たしてくれる退屈ですね。これなら、次はあれがしたいこれがしたい、と思い浮かぶのも早いので、すぐ元通りの生活になります。

一方、悪い退屈というのは『空虚な退屈』。今自分がなぜこれをやっているかわからない、なぜこんなことを自分の手で進めなければいけないのか。自分が持つ仕事・目標・責務に対しての意味が見出せず、それらのために費やしている時間がものすごく無駄なことに感じられて、空虚な気分になってしまう。これが「悪い退屈」だと思うのです。

いい退屈はリフレッシュになりますが、悪い退屈は終わりなく続くのでただただ空虚なだけ。社会人にとっては貴重な時間を無限に浪費してしまう、あまりいいものではない思考でしょうね。


運ゲーすぎる社会人

きっとみんな、この悪い退屈に
悩まされすぎて悩んでいるのかも。

結構「自分が何をやりたいのか」がはっきりしないままに就職して配属されて、自分の意志と無関係な場所で目標とか努力を求められているっていうなかなかの運ゲー的要素が多いじゃないですか社会って。そりゃ退屈になるし、もしこれが後40年続いたらと思ったら気絶しそうですよ。

まあ、「言われたことをやっていれば安泰」という意味ではこういう環境は恵まれているのかもしれません。が、自分でどうしたいのか考えて行動をする主体性のある人からしたら、この環境は地獄でしかない。衝動的な考えのようで、実は自分の芯にある性格とか仕事のやり方が投影された結果、悩まされているところはきっとあると思います。

まあ、とはいえこれを無理に治療したりっていうことは難しいかもしれません。結局最後は自分の気の持ちようなので。でも、退屈にも2種類の退屈があるっていうことを、この記事を読んでいただいた方はわかってもらえたと思いますし、そのロジックさえ分かれば自分での努力はできるんじゃないかなと私は考えています。

まあこの記事が、皆さんの生き方や仕事において何かしらのヒントになることを祈っております。来週もお仕事一緒に頑張りましょうね。

以上、戯言にお付き合いいただき
ありがとうございました。



おしまい。



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