大人数での恋愛の話が不得意

 私のことです。女子のコミュニティで生きていく上でかなり困っている。こういうのは年齢を重ねればどうにでもなるのでしょうかね?そうでもない気がしている。
 1対1ならばなにも負担にならない。既にお付き合いをしている人がいたり、もう少しで関係が進展しそうな間柄の人がいる友人の話を聞くのは好きだ。しかし話の範囲、人数が大きくなると一転苦痛に感じるようになってしまう。
 
 もう少し詳細に考えてみた。そうして思うに私が何より苦痛に思っているのは、恋愛という話題の求心力の強さ、その場にいる人数の多さによる当事者意識の薄れから起きる「個人が粗末に扱われる」状況に立ち会うことだった。
 例えば、誰かの好きな人について本人のいない場所で勝手に話題に出して広めること。ありふれた場面ではあるけれど、された側からすれば不快だろう。そして大抵、集団でいる人間の中に手頃な肴として放り出されたその感情は、8割方事実不明な偏見と個人的確執で塗り固められた揶揄のもとに晒される。
好きな人がいる本人自体がそのことを公言している場合などはまた別かもしれない。
そうだとしても、人の感情というものはもっと丁重に扱われるべきものではないのか?

 他者間の恋愛という事象が身内の中での娯楽として消費されやすすぎることを追い風に、この話を誰かにして良いと本人に承諾を得たわけではないけれど、恋愛の話だしいいだろう、みたいな曖昧な判断で人のパーソナルな情報が本人の預かり知らぬところでいとも簡単に開示されていく様は正直見ていてきつい。自分はされたくないし、する側にもなりたくないなあと思う。

 さらに引っかかるのは、恋愛の話になった途端人の容姿に対して無遠慮に言及することのハードルが下がりすぎではないか、ということ。
 "あの2人どっちがタイプ?"とか、"あの人は無い"だとか。割と皆簡単に口にするけれど、そういったある意味の消費のような行為を生身で接している知人でやることは私は気が進まない。
 恋愛関係なく、の話ではあるが人の容姿に対して言及することにもっと慎重になる風潮が世間に広がれば良いのになとも思う。
 私の友人にすごく自分の容姿を気にしている子がいる。メイクや髪型を研究したりダイエットをしたり、努力熱心な彼女は私から見てとても綺麗な人で、それでも本人は自分に自信が無いようだった。そして私が「君がメイクしていようとしていまいと、君の容姿はすごく素敵」と伝えたとき、彼女の浮かべた曖昧な困ったような笑顔を見て、私は不可侵の領域を踏みにじってしまったのだと悟った。それから私はたとえ褒める内容であったとしても彼女の容姿について一切の言及を控えるようになった。どれだけ私が彼女に近づくことを許されたとしても私は決してそこに踏み込まないと決めた。
 そんな経緯もあって、他者の容姿に対して言及する発言の傲慢さや無品性を私はかなり嫌悪しており、こと恋愛の話においてはその性質が発揮される出来事が頻繁に起こりがちなのだ。

 これだけ長々と文句を垂れ流したが、大人数でする恋愛の話が好きな人を批判するつもりは無い。私は現在女子高校生なのでほぼ毎日のように身の回りにその手の話は溢れているし、集団での会話に組み込まれることも多い。確実に皆でする恋愛の話が楽しい、という人の方が多数派だろうし普通の感覚だと思う。単に私が考え過ぎでこの世代の女子として迎合できていないだけだ。それは事実。ただ自分の中のささくれをぶち切って血を流してまで女子コミュニティで生きていたいとも思わないのも事実……。
 人の性として絶対に無くなることのない話題だからこそ、もう少しどうにかならないものか。無理かぁ。





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