下書きの自分にコメントする


・あなたのアカウント、下書き何本溜まってる?

・私は33本。

・もうほぼ記事になりかけのものもあれば、ただのツイートみたいなものを集めた文章群もある。思いついたタイトルの保管庫、調理前の表には出せない文字列、頭の中から出てくるものをとりあえず書き留めただけの熱の篭っていない言葉。
それらの文章たちがこのアカウントの下書きにひしめき合っている。

・早く形にして出すなどして整理しなきゃ、とは思いつつ、いつまでたっても減らない。整理したそばから増えていくのでもう若干諦めている。

・というか下書きのタイトルの付け方が雑すぎてタップするまで内容がまるでわからない。なんだよ「わほの」って。「あ」とか「わ!」とかつけた当時の私は何を考えていたんですか??

・そういう訳で、もうこれは記事にならないだろうな、というものを用いて下書きの自分にコメントしてみる。雑多に書いたので温度差が凄い。



「わ!」

 部活の友だちとした会話。問いかけが友だちで答えたのが私。こんなことを恋人の1人もいたことのない人間が宣っている。でも割といいとこ突いているんじゃないかなと思う。望むのではなく認めるようになったら、かもしれない。

「コンコルド効果」

 正解。私は毎日真昼間のバス待ちの列に並んだりしながらこんなことを考えている。ただ前半の3行とコンコルド効果はそこまで関係ない気もしている、ただ思い起こされたのがそれであっただけで。雑学知識が好きなのでこういう考え事は割と好き。ちなみに続きはこれ。

 それ多分中学時代によく見てたQuizKnockの動画だと思う。実生活でクイズと関わるような団体に何1つ属していない私がそんな音声を聴く機会はそこしかないし。恐らくサブチャンネルの河村さんと福良Pがサイゼのサラダ云々でクイズしてた動画。マドレーヌ美味しいよね。何より私自身がプルースト効果をよく体感しているので印象深く記憶している。あとQuizKnockの動画で聴いて覚えているのは、「火を崇拝することから拝火教とも呼ばれる」ゾロアスター教という宗教があること。

「娯楽の話」

 冒頭は好きなコンテンツの列挙。思いつくまま適当に書いたので媒体はごちゃまぜ。
 取り出して語るなら水曜どうでしょうはサイコロ3、4、対決列島、アラスカ、ユーコン川、無印ヨーロッパ、東北2泊3日…………とメジャーなところを繰り返し繰り返し見ている。あとなぜかアラスカの旅で登場したトランプのグッズを持っている。私にとって安田顕さんは水曜どうでしょうのonちゃんのイメージが強すぎてたまに現在の姿を見ると中々驚く。車内でクリスマスパーティーとか地獄絵図すぎて本当に好き。御見舞するぞ!!!
 金田一少年の事件簿はさとうふみやさんが手がける漫画版を小学生のときに全巻読んでからずっと好き。明智警視の外伝や短編集も全部読んで、『犯人たちの事件簿』のみなぜかノータッチ。めちゃくちゃ読みたいのだけど売っていない……。
このシリーズは主要キャラがしれっと殺されてしまったり犯人だったりするので油断ならない。あともう本当に…………毎回犯人の動機が辛い…………。色んな意味で1番記憶が強いのは異人館村。大麻畑が燃え盛るシーンは今でも思い出せる。

「なんだったんだろうねえ」

 なんだったんだろうねえ。当時思ったこととしては、「自分以外の人たちがすべて人間を完璧に模倣して動くロボットだと仮定したときにそれを否定する方法がない」に近かった気がする。あの時いくつだったかな。小学3年生くらいのときの担任の先生からのお説教の間だったと思う。ちゃんと人の話聞きな~?

「賢くなること」

 そういう話したいよね。わかる。でもあまりに莫大なテーマ過ぎてちょっと今の私の手には負えない。

 これ!これは私にとってすごく大きな体験だった。瀬山極、というのは作家梶井基次郎の筆名の1つで、『瀬山の話』という作品にもその名が使われている。私は彼の作品が大好きなのだが、その話をするとそれだけで恐らく1本記事が出来てしまうからここではしない。
そしてポール・セザンヌというのは印象派という分野で有名な画家で、クロード・モネなどと並んで紹介されることが多い印象。
そしてこの2人の名前を見比べると、
瀬山(せ ざん)極(=pole=ポール)→ポール・セザンヌ
という訳だ。私がこれに気がついたのがちょうど展示でセザンヌの絵を見たその時だった。
(瀬山極ってポール・セザンヌじゃん!!)と驚きと喜びで身体がいっぱいになったが誰にも共有できずにしばらくうずうずした。
その後調べてみると梶井がセザンヌの絵を好んでおり、作品にもセザンヌの絵から着想した表現技法が生かされていることが述べられた論文を見つけて、やっぱりそこ関係あるんだ、となった。
全く別のところにあった知識がひと繋がりになる瞬間ってどうしてあんなに気持ちいいのだろう。出来ることならあの心地よい衝撃を欠かさず浴びられる人生を作りたい。


「衍」

 わかる。かわいい。行 という字がシンプルな美しさをしているところを崩さずにアクセントを添えている 氵 が良い。

「わほの」

 多分これはごく最近のもの。採れたてフレッシュな下書きだ。何がどれだけ苦しかろうと希望を探そうとしてしまうのは果たして長所か短所か。
上段については別のページで、
(どうせ空っぽなら色んなもの詰め込んで)
「美しいキメラになりましょう」と書いてあった。なりたい。


「あ」

 本当にね。頑張って辞めよう。


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