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映画館で1日に4本ジブリをみ「た」話

 先日、1日4本ジブリを観るという企画を勝手にやって、一本観るたびにnoteを更新してみました。一番短くて25分しか間がなく、誤字脱字だらけ、文体もバラバラ、まとまっておらず感情のままに書いていました。

 数日たった今、読み返してみて思ったこと。絶対いまだったら書けない気持ち、思い出せない感想がたくさん残ってる~!!!やっぱりそのときに思ったことってそのときにしか残せないんだな~と思いました。とはいえ、タイトルの不統一・誤字くらいは後から直しておこうと思います。

 さて、1日どっぷりジブリに浸かってみて味わったのは、スタジオジブリとしての考え方。「自然」と「人」の関わり方だったり、「人間の愚かさ」だったり、「善」についての哲学だったり。それらは作品ごとにブレたりせず、統一感がありました。

 油屋にくる神様たち(=自然)、ナウシカの世界のなかでの自然、もののけ姫の時代の自然、ゲドが語る自然のゆがみ。作品ごとに世界も時代も違いますが、ジブリ作品の中ではいつも人間が手を出してはいけないものとして語られています。

 しかし、人間は手を出してしまいます。川の神様は「お腐れ様」となり、腐海は広がり、獅子はたたり神となり、世界の均衡は崩れます。自然と共存していかなければならない人間は、力でねじ伏せて自然に立ち向かおうとします。ともに生きるのではなく、対抗しようとします。対抗しようとするのに、人間同士でも争います。

 どの作品でも、「愚かなる人間」がたくさん出てきて、主人公は「善」の象徴として立ち向かいます。ここで着目したい海外映画と大きく違うのではないかという点がひとつあります。ジブリ作品の中には「悪」としての対抗キャラクターがいないこと。登場人物が「悪」というよりは、「人間らしく愚か」であるといえるのではないかと私は思います。対抗すべきキャラクターは出てくるのですが、どのキャラクターも人間らしい誰しもが共感できる「愚かさ」にとらわれています。

 一方、「善」の象徴である主人公は、富や地位に目をくれず、自然との共存を訴え、恐怖に負けず、一生懸命で勇気があり、人々に笑顔を与え、命を大切にします。ジブリ哲学としての「善」。それが主人公たちのことです。ゲド戦記では、この「善」がある種反語的に描かれています。アレンはテナーを通して「善」を学びます。

 ジブリ哲学の中では、「善」の対義語は「悪」なのではなく、「愚」なのではないかと思いました。

 ジブリ作品は、日本の価値感覚や美的感覚、宗教や道徳が大きく反映されています。ジブリ作品を通して、文化としてその感覚が受け継がれていくという面もあります。つまり、ジブリ作品と日本人が密接にかかわりあっており、相互に影響しているのではないかということです。ジブリ映画は今のアニメや映画、ドラマにも影響していると思います。日本の文化のルーツのひとつなのではないでしょうか。

 ジブリ映画再上映は今回のヒットをきっかけにまた企画されるような気がします。まだ観ていない作品も多いので楽しみです。ジブリ作品を知らない子供たちが増えるのは寂しいですし、わかりやすくかつ深い作品も多いので、広い年代のひとが映画館でともに味わえるように思います。

 もう次の話をしていますが、まだ映画館で『千と千尋の神隠し』『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『ゲド戦記』をみていない人は、まだまだ上映されているのでぜひしっかりマスクをして観に行ってみてください。映画館は席が一つ飛ばしになっていて、換気・消毒についてもアナウンスしていました。ポップコーンもすべて袋に詰められているようでした。

 自粛生活をきっかけにして活動や経済が落ち込むことで、世界の文化・芸術的発展も損なわれてしまうのではないかと悲しく思います。ウイルスが収束し、すべての人の活動が再スタートを切れたときに爆発的に経済や文化が成長するためにも、今はみんな種まきの時期なんですかね。この時期の消費は社会貢献だと思って積極的に贅沢をしてもいいと思います。自分の中の大切なものを育てるために、過去のいろんな文化や芸術を振り返るのもよいのではないでしょうか。

 この先のジブリ作品も楽しみにしています!

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