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平等って、本当は平等じゃないからこそ平等なんだと思う。

偶然じゃない。流されてもいない。
私たちはみんな、自分で選んでここに来たの。
君と私が同じクラスだったのも、
あの日病院にいたのも偶然じゃない。
運命なんかでもない。
君がしてきた選択と、私がしてきた選択が
私たちを会わせたの。
私たちは、自分の意思で出会ったんだよ。

これは『君の膵臓をたべたい』で主人公の女の子が言ったセリフ。

YouTubeのTHE FIRST TAKEっていうチャンネルで北村匠海さんが歌っている「猫」がすごく素敵で、ぜひ一度聴いてみて欲しいんだけど、実はこの曲、映画『君の膵臓をたべたい』を観てインスパイアされたあいみょんが書いた曲なんだそう。

ということで曲を聴いてるうちに『君の膵臓をたべたい』が観たくなった。そして冒頭に書いたセリフにグッときた、というわけ。

素敵なセリフだよなぁと思うのは歳を重ねたからなのかな。人との出会いもそうだけど、今自分が生きているこの瞬間は、たくさんの選択をしてきた結果。
そして同じようにこれからもその選択は続いていく。
だから、なんとなくじゃなくてちゃんと道を選んで生きていきたいな。

という長めの前置きでした。

今日は"性別"っていう概念は難しいね、というお話。

私の職場はやたらと女性が優遇される。
そもそも女性は早く帰らせたほうがいいという風潮があったり、今この外出自粛ムードの中で、なぜか女性だけ出勤日数を減らすことになったり。
他にも、日常に“女性は”から始まる文章がとても多く登場する。

私はこれまでの人生で、これほどまでに性別で行動を分けられたことが無かったので、この環境には少し違和感がある。

別に不満があるというわけではない。
むしろ働きやすい環境を提供されていることはありがたいと思う。
でも、何の意味があって性別を判断基準の上位に置いているのかは知りたい。

最近特に、女性の社会進出が進んできている。
実際、うちの会社もその時代の流れに乗ろうと、女性社員を管理職に登用している。
しかし、ここでも私は言いたいことがある。
「"女性"を登用した」という事実を大事にしすぎではないか。
なぜこう思うのかというと、この管理職の女性は社内で有名人になってしまっているからだ。
ここでも"女性"が主語になってしまう。
「"女性"が管理職になったらしいよ」と。

女性の社会進出の本質はそうではないと私は考えている。
性別なんて関係なく、純粋にその人自身を評価してもらえる、そういう時代を目指しているんじゃないのか。
"女性が"と語られる時点で何も変わっていないんじゃないか。

だけど、この問題はとても難しい。
どんなに平等に考えようとしても、平等には考えられない領域がある。
だって生き物としてそもそも違うから。
この平等じゃない世界をいかに平等っぽく見せるのか、っていうことが求められているのかな、と思う。

ここからはただの私の価値観の話。

この間優秀な社員を紹介する動画が放送された。
その動画で特集されていたのは、子育てと仕事を両立する女性だった。時短勤務をしながら、効率良く仕事をこなして成績をあげる。周りからの評価も高く、本人も、大変だけど充実してます。と笑顔で話していた。

それを見ながら私は、私が目指しているのはここじゃないな、と考えていた。
この人のように生きて、人生満足できるんだろうか、と。
安定した平和な人生は今のところ求めていない気がする。

でもこんな風に思うのは自分が子どもだからかな、とも思う。子どもを育てることなんて想像できないくらいまだ子ども。自分の人生のことだけで精一杯って感じ。

こんなこと言ってるけどもう23歳っていう現実が恐ろしすぎる。
いつの日か私は結婚しているのでしょうか。

なんにせよ、幸せだと思える生活が出来たならそれで良いかな。

今日はこれでおわり。
最後まで読んで頂いた方、ありがとうございます。

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