見出し画像

家族という「ラスボス」をクリアしないと前には進めない。

「家族ってあたたかい」とか

「親子は愛情をもって当然」とか

「家族だから優しくしなきゃといけない」とか

そんなあやふやな固定概念をもってしまいがちだ。

私もかつてはその概念に縛られていたし、幼い頃から穏やかな態度で接して来たつもりだったけれど。

ある出来事をきっかけに我慢していた感情がむくむくと湧き出てきてしまった。

さらにいうと、私も想定していなかった言葉が口から出てしまったのだ。

それは逆も然りで、母親から「え?そんなこと根に持ってたの?」と15年前の話を持ち出され、覚えてない・・と困惑した。

おそらく母親は、当時のわたしの言葉を自分なりに解釈し(多分マイナスな解釈で、それが怒りになったのだろう)、それが負の記憶として脳の片隅に未消化のまま残っていたのだろうなぁ。

でも、これほどまでに予想外な発言が飛び交うと、長い年月をともに暮らし、築き上げてきたはずの信頼関係は一体どこへ?と突っ込みたくなる。

どれだけ本音で、そして心で触れ合ってなかったのだろうと思うと切なくて。。

でも、キツいことを言われても、向き合えたことは嬉しかったのは事実。これまで触れたことのない母親の心をのぞけた気がした。

母親って弱音をはかない生き物。

だけど、子どもは母親の弱い瞬間を見たときに「やっと母親を助けられる」と思うもの。

で、悩んだ末の結論は「愛されたかったんだ」ってことと、「母親は完璧じゃない」という当たり前の事実。その途端、急に楽になった。

ラスボスクリアしたー!みたいな爽快感があった。

相談した友人は「中学時代に母親も人間だからって悟ったよ」と言っていた。尊敬しかない。わたしは気づくのが遅かったな。

母親だから子どもを愛するべきとか、子どものわがままを受け入れるべきとか、母親だから欲を出していけないとか。

そんな数多の固定概念に苦しんできたんだろうなぁと思うと、それはそれで愛おしい。

母親が口にする言葉の裏には、こちらからは見えない真意がい〜っぱい隠れている気がする。

だから、言葉を額面通りに信じることは、もうやめよう。

「お母さんのため」と思って必死になることも、家族が円満に過ごせるように変な根回しをすることも、理想の家族像を押し付けることも。

心通わなくてもいいし、理解しあえなくてもいい。

でも、心から幸せになってほしい。

全部ひっくるめて受容すれば、そこから新しい関係性が生まれる。

そんな希望を込めて。

#エッセイ #日常 #母親 #心理学 #家族の悩み #母親との関係 #家族とは

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?