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「手紙を書く」ことの楽しさと難しさ

先月、Twitterで個人開催した企画があった。昔から不定期で開催している「お手紙企画」、別名「ラブレター書きます」企画。

今回は有難いことに2名の方にご応募頂き、手紙を書く運びとなった。普段から手書きには慣れているものの、「手書きに慣れている」のと「手紙がスラスラ書ける」のは話が別なのだという話をしていこうと思います。

普段から「手書きnote」などもやっているので、思ったことを文字として起こしていくことは差ほど苦手ではない。ただ、そこに自分以外の誰かが加わると、話は格段に変わってくる。何故なら「誰にでも見せられる落書き」なんてものではなく、「その人を想って書くもの」に姿を変えるから。

ツイート内の画像にも記載してある通り、手紙と言うのは
・相手の事を考えて書くから、完成までに時間が掛かるもの
・相手を知らないと、書けないもの
だと思っている。

私の場合、Evernoteなどに予め下書きをするのだけど、その下書きに数日を要する。手紙は日記じゃない、相手へのプレゼントだ。プレゼントは、どんな贈り物が喜ばれるか、相手が嫌な思いをしないかを考えながら慎重に選ぶものだ。同時に、自分がどんなものであれば嬉しいか、どんなものだったら嫌なのかを考える必要がある。相手と自分は同じ感性ではないとしても、自分が嫌だと感じることを書けば、それは遠まわしに相手を傷つけていることに繋がると思っている。

書きたいことが多すぎて冗長的になりそうなときは、何を優先して伝えたいかを校正しながらまとめ直す。実は下書き時点では、今回お書きしたお二人分、両方とも便箋1枚では到底足りそうにないくらいの量の下書きになってしまった。読みやすさを考慮し「便箋1枚分」と決めていた為、かなりの文字を泣く泣く削ったのである。実際手紙書いたことある人ならわかるんじゃないかな…「なんか…多い…!!」って言う事態。

実際に書き始めてみても、下書きの時は「これで完璧だ!」と思ったのに自分の字になった瞬間「コレジャナイ」感が溢れてきたり。かといってぶっつけ本番で書けるものではないので、下書きの構成を残しつつも、その瞬間に本心で思った言葉をペンに乗せていく。今回の手紙も実は下書きと大幅に変わりました…。


でも結局のところ、相手がそのプレゼントを喜ばなかったら意味が無いわけで。…お気付きでしょうか、またプレゼント選びの話あたりに戻るんですね。何度も何度も悩むんですよ、手紙を書くのって。でも喜んでもらえたら、それは私にとって「誇り」になるほど嬉しいこと。私の言葉が、本心が、真っすぐ受け止めてもらえた証拠だから。

「自分の手で書ける言葉は本心」という信念が、私にはあります。私が、私の手で書く言葉には、嘘偽りは一切ありません。それだけは信じてほしい。偽物の言葉だったら、パソコンで書けば良いだけですからね。偽物は自分の手では書けない。と言うか、字が物凄くいびつになるんですよ。これって人間心理の話でね。好きでもない言葉を書いていると、字って凄く汚くて、整っていないものになるんだそうです。その為、「自分の手で書ける言葉」は「自分が納得できる綺麗な字」でなければならない、と言う隠れポリシーがあります。一般的に言われる「美文字」とは多少概念が異なるので、そこは悪しからず。

とにもかくにも、自分の字で表に出せるもの、誰かに渡せるものは、私が私の誇りの下に書いたもの、と自信を持って言える。傍から見ればちっぽけな矜持だとしても、これが無ければ「出来ない事」だと思って書いています。改めて、手を挙げてくださったお二方、ありがとうございました。


またその内、開催しますか…。

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