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人を動かすには「大袈裟」であれ?

つい先日、今年の正月ぶりに母と会った。正月に実家に帰ったのも「インフルエンザ罹患による緊急帰省」だった…ろくな理由じゃないな。持病持ちの一人暮らし、緊急事態に極端なほど弱い。緊急事態にならないのが一番だよね…それはいいとして。

別に仲が悪いとかじゃなくて、気付いたらコロナ影響で自粛、自粛、自粛で県を跨ぐ移動も出来ず。帰ろうにも帰れず…みたいな。そんな中、両親が9月末頃に父方の祖母がいる大阪に急遽行ってきたとのことで、母がそのお土産を持ってきてくれたと言う次第だ。

どうやら、祖母が高熱を出したのだとか。40℃にも及ぶ発熱で、病院に行ったもののこれと言った治療を受けさせてもらえなかった…と母に電話越しに嘆いた結果、『このままだと(高齢という事もあり)もう会えなくなるかもしれない』と思い急遽行く事にしたらしい。ちなみに祖母は熱冷ましの鎮静剤を貰った翌日には熱も落ち着いたのだとか。この時期だ、大病でなくて良かった。

…と、ここまではほっとするお話なんだけど。実際のところ、祖母は40℃も熱を出していなかったらしい。従姉妹談。とは言え通常時に比べたら高熱だったことは事実ではあるものの、多少大袈裟なことを言ったのは間違いない。その話をしてくれた母はこんなことを言っていた。

「まんまと会いに行っちゃった。おばあちゃん、上手いなぁって思ったわ」

確かに〜!(笑)

既に60近い息子(我が父)を持つ者だ。良いお年である。こんなご時世でなくとも、「40℃の熱が出た」なんて言われたら例え不謹慎と言われようとも「先が短いのでは…」と不安になるものだ。今会いに行かなかったら、もしかしたら…と言うこともあり得る。こんなご時世、帰省をやめろと散々取り沙汰されていたとしても突然「大阪行ってくる。妹になんかあったらお願いね」とLINEが飛んでくるのも分からなくない。まぁでも正直コロナじゃなくてよかったな。コロナだったら2週間帰ってこれないぞあんたら…とも思っている。


さて、ここまではうちのばーちゃんののっぴきならないお話。ここからは今回の出来事から私が思った「人の動かし方」のお話。


情に訴える、と言うやり方。今回うちのばーちゃんがやったのはまさにこれだろう。少し大袈裟に語ることによって「もしかして」を彷彿させる。これを意識してやっていたかと言われたらきっとそうじゃ無いだろうけど、きっと心のどこかでは「会いにきてほしい」と思っていたのでは無いだろうか。

実際、人を動かすには「情に訴える」と言うやり方はかなり有効だと言えるだろう。実際よりも大袈裟に語ることで、人々の感情を動かす。それはネガティブな方が目立ちやすいし、動かしやすい。昨今の炎上商法もだいたいこれじゃないかな。怒りを煽るべく「わざとネガティブに誇張表現を使う」。怒りを露わにする人たちによってその発信者はまんまとTwitterトレンド入り。売名行為はい完了ってね。

事実だけを述べても「ふーん」で終わってしまう可能性があるから、あえて「ちょっと盛る」のだろう、と思う。炎上商法って一人じゃ燃えないからさ。一緒に燃えてくれるものがないと、焚き火だってすぐに火が消えるでしょう。結局のところ炎上商法がうまく行っちゃうのは「人のネガティブな感情に訴える」と言うことに成功してしまっているからに他ならないと思う。

私ひとりがこんなこと言ってたってどうせ何も変わりはしないけど。一緒に燃えに行かない限り、その人は一人で騒いでるだけなんだよ。「炎上商法あーヤダヤダ」って言いながらRTしたり噛み付いたりしてないで、そっと「攻撃的なツイートをしています」って通報しときなよ。そっちの方がちょっとスッキリするよ。Twitter歴11年目のみずほ流SNSの生き方…なんつって。


ところで、情に訴えるやり方と言うのは、日本では何故か好まれにくい。今回のうちのばーちゃんと母は信頼関係があったからこそなし得たことだろう。信頼関係の築けていない人に情に訴えかけられても何とも思いはしない。その点について、気になるツイートがあった。

確かに、一国の首相でさえ、論理と情熱があっても信頼を得ようとせず語る一方。営業マンの熱苦しいだけの話に真面目に耳を傾けてくれるかって言ったらそうでもないよね。不思議だよな〜、言われたら納得するのに、やったこともやろうとしたこともないもんな…。
こう言うことを学べばもう少し私のnoteも魅力的になるのかしら…なんて余計なことを考えたところで、本日は解散。ありがとうございました。


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