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人が死ぬ話を聞く度に思うこと

老いが朽ちれば「またひとつ時代が終わった」と思う。
若きが果てれば「物語が止まってしまった」と思う。
長生きが正しい選択肢かどうかはわからないものの、生きたかった者が長生き出来ない世はどうにも慣れない。

自ら死を選んだ人は、「それしか選べなかったのだ」と思うに留まる。先日書いた「死は救済か」と言うnoteに記載した通り、「死ぬことで幸福度が上がる」という人も居るからだ。

今朝も若き演者が病でこの世を去ったと聞いた。34歳だったそうだ。私と差ほど離れていない。あまり名前は存じ上げないが、立った舞台の数と役柄からとても人気のある方だったのだろう。

数年前、一人のボカロPが亡くなった。彼も急性の病気だったと聞く。どうしてそんなに無理をしてしまうんだ、どうしてそんなに生き急ぐ、と問いたくなるも、もう居ないのだ。結構好きだったんだけどな。

漫画やゲームやドラマの世界じゃ死なねば話が進まぬ人が居るのは事実だ。確かにその死も受け入れがたい物語だと思う人も多数いるだろう。しかしそれは「物語」の在るべき姿を描いたに過ぎない。現実世界じゃ死ねば話が止まってしまう。終わるんじゃない、止まるんだ。そして誰かが死ぬことで他の誰かの時が止まってしまう可能性だってある。永遠に終わらない物語を目の前に突き付けられるのだ。現実世界じゃ、死なねばならん奴というのは居ない。罪深き業を背負っていない限りは。

怨みは買うな、地の底に堕ちる。頑張りすぎるな、戻れなくなる。手を伸ばす先に悔いが残る人生など幸せではない。だから自ら死を選ぶ人も居るのかもしれない。しかしとある物語にはこんなセリフがあった。

「人が幸せであったかを決める瞬間は、臨終の場において他にない」

「あぁ幸せな人生だった」と思える人生を歩んでくれ。死んでから「幸せだなァ」なんて思う虚空はやめてくれ。何事もなく、生きてくれ。普遍的であってくれ。若いのが、生き急ぐ必要のない世界になってくれ。

止めはしないと言ったがな。生きたかった奴が死ぬのは私も辛いよ。


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