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この二人には最大級の賛辞の言葉“オモスゴイ”と言うしかありません。


友人から「モーツァルトを聴けば君の人生観は変わるよ」と電話で告げられてそんな馬鹿なことがあるか、音楽で人生観が変わるなんてと思った。

ところがそんな馬鹿なことが一週間ほどして起こってしまったのだから厄介だ。

【きっかけ屋☆映画・音楽・本ときどき猫も 第63回】

マレイ・ペライアがピアノを弾きながらイギリス室内管弦楽団を指揮した『モーツアルト・ピアノ協奏曲全集』とグレン・グールドの『モーツァルト・ピアノ・ソナタ全集』が届いた。

ペライアが奏でるモーツァルトのピアノ協奏曲、特に20番〜27番までの演奏の美しさには涙してしまった。

世の中にこれほど淀みなく溢れ出る美しい音楽があったなんて!

片やグレン・グールドのピアノ・ソナタ全集。

子どもの頃にピアノのお稽古で弾かされた耳馴染みのある曲もありシンプルで親しみやすいメロディーが耳をくすぐる。

でも。

でも、でも、でも、グールドの演奏ってちょっと変じゃないか?

それから一年近く様々なピアニストのモーツァルトのピアノ・ソナタを聴き比べながらモーツァルトの美音快音世界にどっぷりつかる日々が続いた。

一年近くたってからグレン・グールドを聴きなおした。

こんな面白いモーツァルトが他にあるだろうか❗

一年前に聴いた時にはこの演奏ちょっと変!と感じたのに。

聴き比べてみるとグールドの演奏が一番素晴らしい!

おそらくモーツァルトがグールドの演奏を聴いたら下品に大笑いして悦んだことは間違いない。

ブロードウェイの舞台を1984年にミロシュ・フォアマンが監督した映画『アマデウス』

1985年第57回アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞、脚色賞、美術賞、衣裳デザイン賞、メイクアップ賞、音響賞の8部門を受賞した。

この映画がすべてを語っているとは思えないけれどかなりいいんじゃない?このモーツアルト像は。

モーツァルトを殺害したと疑いをかけられたサリエリの視点で描かれた映画『アマデウス』は映像、音楽、演出ともにみごとな超一級のエンタテイメントだ。

宮廷お抱え作曲家のサリエリが宮廷入りしたモーツァルトを歓迎する曲を作曲した。

皇帝自らが演奏してモーツァルトを迎え入れる。

その場に登場したモーツァルトは今耳にした曲をとっさに演奏するのみならず自分なりに手を加えて作品の完成度を高めてしまう。

生涯を神に身を捧げたサリエリはそれを目の当たりにして神を呪う。

神よ!どうしてあんな下品な男に才能を与えてしまったのですか。

そのシーンをご覧頂きたい。


グールドの演奏するモーツァルトはクラシック・ファンの間では賛否両論だ。

圧倒的に否定派が多いんじゃないかな?

ちょっとここで聴き比べてください。

曲は有名なモーツァルトのピアノ・ソナタ第11番 – 第3楽章「トルコ行進曲」。

まずは20世紀最高のモーツァルト弾きの一人リリー・クラウスから。


トルコ人の鬼才ファジル・サイが弾くと。


グレン・グールドの解釈によると・・・


超絶ピアニストのユジャ・ワンの手にかかると!

いかがでしたか?

まるでジャズのように奔放に鍵盤上を飛び跳ねるユジャ・ワンも素敵ですがグールドの個性的な解釈はとてもスリリングだ。

グールドはこう語ってます。

「霊感が降り立ったとき、作曲家がそれを正しく楽譜に書きとめたとはかぎらない。自分はその「霊感」の源まで遡って、そのレヴェルで解釈し、演奏したいのだ」

単に奇をてらった演奏もたくさんあるけれどどんな音楽であれスリリングでユーモラスなものにぼくは興味を感じます。

モーツァルトを入り口にしてクラシック全般を聴くつもりでしたがモーツァルトで足踏みしてしまいました。

時折バッハやバッハ以前の音楽には耳を傾けましたがモーツァルト以降のヨーロッパ音楽には全く興味を惹かれませんでした。

モーツァルトを聴くだけで精一杯だったというのが本音です。

モーツアルトは面白くて凄い。

ぼくがつかう最大限のほめ言葉「オモスゴイ」としか言いようがない天才です。

宮沢賢治の大好きなベートーヴェンの音楽はこれでもかこれでもかとただただ暑苦しく汗臭くて・・・。

モーツァルトほど淀みなく美しくスリリングに流れる音楽を他に知りません。

音楽に全く作為が感じられないのです。

単調を聴いているはずがいつの間にか長調に。

楽しいの悲しいのどっちなの?

メビウスの輪のようにモーツァルトの音楽はいつの間にか表が裏に裏が表にすり替えられているのです。

まるでだまし絵の大家M.C.エッシャーが描く「Metamorphose II」のよう。

モーツァルトは交響曲の譜面を縦に書いたと言われています。

各楽器のメロディーを譜面に書き記すのではなく頭に浮かんだ全楽器から湧き上がった響きをそのまま譜面に書き写したのです。

しかもモーツアルトの譜面にはほとんど書き損じがありません。

バッハは神に捧げる音楽を残しましたがモーツァルトは神の音を自動書記したのだとしか考えられません。

っで、モーツァルトはチャネラーだという結論に達したワケです。

宮沢賢治の話からモーツァルトに話が変容してしまいました。

モーツァルトは35歳(1756年1月27日~1791年12月5日)、宮沢賢治は37歳(1896年8月27日 - 1933年9月21日) でこの世を去っています。

破格の天才であったにもかかわらず二人とも生まれ故郷では煙たい存在だったことも似ています。

最後までお読み頂き有難うございました。

次回もお寄り頂ければ嬉しいです。


連載はここから始まりました。


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2002年に書き始めたブログ「万歩計日和」です。


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