新型コロナウイルスが蔓延するとこんなことになるような予感も・・・。
新型コロナウイルス騒動の行末はまだまだ不透明だ。
今のところ被害もなく平穏に暮らしているけれど残念なことが起こった。
月に二回パンのきたがわさんのお手伝いとして介護付き有料老人ホーム「油壺エデンの園」に出張販売に伺う。
「油壺エデンの園」はNHKテレビの「ドキュメント72時間」で「海が見える老人ホーム」としても放送された大型老人ホームだ。
【きっかけ屋☆映画・音楽・本ときどき猫も 第69回】
先月末に「3月は外部の業者さんの出入りが禁止となりました」というお知らせの電話がエデンの園からあり今月のパンの販売がお休みになった。
エデンの園の住人と外部との接触を一切遮断するということだ。
残念だけどこのご時世なので仕方がない。
アルバイトではなく無給で押しかけ販売アシスタントをやらせてもらっている出張販売はこのところの楽しみの一つになっている。
「油壺エデンの園」には500名のご老人が住んでいる。
歩けない方には部屋まできたがわさんがパンをお届けしたり受付に預けたリ、ご老人のために柔らかなパンを選び特別ミニ・サイズにして販売するなどいたれりつくせりだ。
人はそれぞれドラマチックな人生を抱えているから販売中に住人の方々と二言、三言会話をするだけでもけっこう濃い話が聞けたりする。
72歳にもなるとなかな自分が最年少でいられる機会が少ないので貴重な時間を楽しんでいるといったところだ。
当分出張販売は中止になりそうだと頭に浮かんだ時に思い出した小説がある。
ブルーノ・ヤセンスキー著『パリを焼く』。
ヤセンスキーはポーランド生まれのソ連の作家だ。
ぼくが17歳、高校3年生の時に集英社から「20世紀の文学」という全38巻の世界文学全集の刊行が始まった。
河出書房、筑摩書房、中央公論社をはじめとした世界文学全集が大人の教養のひとつとして多くの家の本棚にきれいに飾られていた時代の話だ。
集英社の「20世紀の文学」と講談社の「われらの文学」はいわゆる古典ではなく新世代の作家たちをとりあげた斬新な文学全集だった。
「われらの文学」では安部公房、開高健、北杜夫、大江健三郎、「20世紀の文学」ではワシーリー・アクショーノフ、ヘンリー・ミラー、ジェームス・ボールドウィン、ギュンター・グラスに胸おどらせた。
なかでも記憶に残っているのがブルーノ・ヤセンスキー著「パリを焼く」。
ポーランド人のヤセンスキーはポーランド共産党に対する弾圧を受けてパリに亡命。1929年に刊行された「パリを焼く」が全世界で200万部を売るベストセラーとなったがこの小説でヤセンスキーは体制転覆を企てたとして逮捕されパリを追放されソ連に亡命、その後ソ連に吹き荒れた大粛清で「トロツキスト」とされ逮捕され獄死している。
職を失い恋人に振られ、投獄されて夢も希望も失った一人の青年がある日友人が勤めるパスツール研究所からペスト菌を盗み出し貯水池に投げ捨てる。
ペスト患者が蔓延して大量に死人を出したパリは軍隊に包囲される。
パリ市内にある各国の大使館や民族や党派別に自治独立国家、コミュニティが生まれパリは無数に分断され、差別、区別、略奪など様々なドラマが生まれる。
世界から完全に隔絶され大量死が発生したパリ市内で生き残った人たちがいた。
世の中と完全に隔離されていた刑務所の囚人たちだ。
配布される新聞は日を追うごとに黒く消される部分が増え、食事はどんどん悪化し、監視員の数が減っていく刑務所。
ある日まったく食料が途絶えて監視員も見当たらなくなった刑務所で暴動が起こる。
刑務所から飛び出した囚人たちは焼け野原となったパリを目の前にして愕然とする。
一人も生存者を見かけないパリ。
囚人たちは放送局を占拠して「パリはまだとても危険なので近寄ってはいけない」という放送を全世界に向けて発信する。
航空危険地域に指定されたために上空を飛ぶことすら禁止されたパリは世界から完全に隔離され捨て去られてしまった。
何十年後のある日のこと。
操縦をあやまってパリ上空に迷い込んだセスナ機の操縦士は眼下のエッフェル塔を中心に四方八方に広がる金色に輝く麦畑で多くの農民たちが楽しそうに働いている姿を目にして愕然とする。
パリは原始共産制で蘇っていたのだ。
目に浮かぶような感動的なラストシーンだ。
映画の醍醐味は映画ならでは手法で人を魅了させることにある。
そのことを良く知る監督が傑作をものにする。
例えばスティーブン・スピルバーグ。
SF作家リチャード・マシスンの十数ページの短編を見事な恐怖映画に仕立てたデビュー作『激突』。
撮影日数16日、超低予算、出演者二名で制作されたこのテレビ映画は1973年第一回アボリアッツ国際ファンタスティック映画祭でグランプリを受賞した。
「激突」がどんな映画かはこちらでお読み下さい。
スピルバーグなら「パリを焼く」を感動的な映画に仕上げることが出来るだろうね。
初めて読んだ時から映画で見たいと思っていたので後年「これは絶対に映画になりますよ」と映画制作に乗り出したアミューズの大里洋吉社長(当時)に「パリを焼く」をお貸しした。
これも映画化してくださいとお渡ししたのは手塚治虫著全十四巻の「ブッダ」。
あれから40年くらいになるだろうか。
いまだに「パリを焼く」も「ブッダ」もぼくの手元には戻って来ずアミューズはこの二作を映画にしてもいない。
まっ、いいけど。
街中がワケのわからない恐怖にかられてパニック状態となり、差別、区別、略奪に近いことがおこなわれ、我先にと争う。
ペストが蔓延したパリで生き残った囚人たちと同じようにコロナウイルスで全滅した町に生き延びた老人ホームの住人たちが新しい世界を築く。
これは興味深い物語に熟成しそうだねと独りごちている今日このごろなのだ。
残念ながら現在「パリを焼く」は絶版のようだ。
これほどの傑作が読めないとはなんとも勿体ない話だと思うけど。
このことろヨーロッパやアメリカで東洋人が「おい、コロナを広めるなよ!」と脅かされることも起こり始めている。
激しい差別や区別、略奪などがこれ以上起こらないでもらいたいのだが・・・。
最後までお読みいただき有難うございました。
次回もお寄りいただければ嬉しいです。
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