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70年代ロック・シーンに登場したあだ花的サウンドについて。


洋楽のロック担当を命じられてしぶしぶ聞きはじめたがB,S&Tの『血と汗と涙』、シカゴの『シカゴの軌跡』、クリームの『カラフル・クリーム』、この三枚でジャズの時代が終わったことを思い知らされた。

【きっかけ屋☆映画・音楽・本ときどき猫も 第48回】

1970年にジャズ評論家の相倉久人さんは「ジャズは死んだ」と宣言した。

社会学部社会学科のぼくの卒論のテーマは「抗議としてのジャズ」。

守備範囲の広い社会学は〇〇社会学とつけばればどのようにでもとり繕えるのでジャズ社会学ということになる。

ジャズのルーツは各種黒人音楽。

ワーク・ソングやゴスペルやブルースがごった煮となりアメリカ南部の港町ニューオルリンズの娼家を根城にジャズは生まれた。

酒場の賑やかしの音楽として発展したのがジャズだということだ。

その後ミシシッピ川をセントルイス、カンサスシティ、シカゴと北上し最終的にはニューヨークに飛び火してジャズは開花した。

ジャズは黒人が人種差別に対して抗議している音楽だと言われていたがそれは違うとぼくは卒論に書いた。

社会学の教授はジャズのことを何も知らないのだから好き勝手に書いても分からないだろうという乱暴な話だ。

アフリカから奴隷として売られてアメリカ南部の畑で過酷な環境で働かされた黒人たちが自分たちの境遇を憂いて歌にした。

自分たちの日常の辛さを神に訴えただけで白人が悪いと告発しているわけではない。

というのがぼくがでっち上げた仮説だ。

その際アンチョコとして使わせてもらったのが相倉久人氏の著作だったので勝手に師匠とお呼びしている。

片っ端からロックを聞き始めたぼくの洋楽担当第一作が『ヒューズ登場』。

後にチープ・トリックを結成するリック・ニールセン(G)とトム・ピーターソン(B)が在籍していたグループだ。

プログレ風味のハードロック・グループでメロトロンなども使用した斬新なサウンドだった。

とは言えぼくの根っこはジャズだ。

ロックン・ロールやハードロックなど肉体派の音楽よりも耳馴染んだブラス・セクションの入ったブラス・ロックやヨーロッパの頭でっかち前衛風味のプログレッシブ・ロックにひかれた。

プログレッシブ・ロックというのは今でも通用するだろうけれどブラス・ロックというのはもはや死語に近いかな。

というか確実に死んでいる。

ジャズが死んだと言われた70年代に独自のエレクトリック・ファンキー・サウンドを追求していたのが何度も登場するマイルス・デイビスだ。

60年代にハービー・ハンコック、トニー・ウイリアムス、ロン・カーター、ウエイン・ショーターを従えたマイルスの黄金のクインテット時代もいいけれど70年代のエレクトリック・マイルスがスリリングで面白い。

70年代に次々に登場したブラス・ロックと言えばシカゴ、B,S&T、チェイス、ライトハウス、ドリームス、タワー・オブ・パワー、テン・ホイール・ドライブなど。

ブラス・ロックを含め70年代の徒花的にジャズ・ロックが流行した。

この続きはまた明日。

次回はジャズマンがロックビートを採り入れた時代の話になります。

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2002年から書き続けているブログ「万歩計日和」です。


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