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生者のために線香を

午後、実家の片づけをするために家を出た。父は死に、母は施設に入ってしまった。入ってしまったと言うのは語弊がある。私が、私たち子供が入れた。仕方がなかった。妹は母と同居とはいえ働いているし、料理をするなと言っても妹のために夕食を作ろうとして鍋を焦がし、同じ話を繰り返し、ほとんどのヘルパーさんを追い返し、テレビの前から動かない母を見るのも限界だった。私だってもう75才だ。頼れる子どももなく食事も作れない夫がいると、週1回通うのが精いっぱいだった。
都心から電車で30分、裏路地にある家は暗い。節約家の妹は電気の無駄使いを嫌う。薄暗い中、お仏壇にむかう。母の生まれ故郷には奇妙な風習がある。他人の形見分けを手伝う時には必ず仏壇にお線香をあげてから取り掛かる。どんな短い時間であっても必ずあげる。そうしないととんでもないことがおきると言われている。
形見はただのものではない。人柄だけでなく生活や暮らしぶりを伝えてしまう。形見を通して人に秘密を知られるのを嫌った故人が禍(か)を起こすのをふせぐため、だと言う。
隣の奥さんは線香を忘れたばっかりに事故にあったとか、泥棒に入られたとか、病気になったとか、まことしやかに言われていた。だから肉親の片づけの時も線香を欠かさない人もいるとか。
しかし、全国に葬祭センターが作られ、他県に嫁いだ母やその娘の私たちにとっては、忘れかけた風習でもある。口うるさいは母はやいのやいのと文句を言っていたが、たまに忘れても父の時は何も起こらなかった。
あの様子では母も遠からず鬼籍に入る。その前に少しづつ片づけた方が楽なことは父の時にわかった。親がいなくなるとはりつめていた糸がきれるので、家を片づけると思うだけでもおっくうになる。
ほこりと土の混じった風のなか、ロウソクを灯そうとすると上の方でかたりと物音がした。妹は窓を閉め忘れたのだろうか。幅の狭い階段を上がっていくと、湿気でぎしぎし音がする。ニ十年前膝が痛いと言う母のために手すりを付けたが、私にも役立つ日がやってきた。窓はしまっていたが、隣の襖の隙間から文机がみえた。独身の頃、私が使っていた部屋だ。机に座り、引き出しを開けると小さなノートが入っていた。私のものではない。私が家を出た後、この部屋は物置になっていた。パラパラとめくると見慣れない字がうつる。母の字に似ている。電気をつけなくとも窓明かりで読める。
そもそも父と母のなれそめは母の一目ぼれだと聞いていたが、日記はその通り、感じの良い人だった、から始まっている。
しばらくはどこで会った、こんな会話をした。とまるで少女のような毎日が刻まれている。ほほえましい。こんな時があったのだ。
しかし次のページをめくり、手が止まった。やや乱れた字で「夫、入院。N、あの人のきれいな肌が恋しい。」とある。
と、リーンリーンと甲高い音が耳に突き刺さる。スマホの着信音だ。心臓が飛び上がりそうになる。反射的に上着のポケットからあわててスマホを取り出そうとして、手にしていた日記が落ちた。「もしもし。」妹だった。沈黙。この沈黙には覚えがある。父が死んだ時と同じ。「お母さんが。 」遠くで妹の声が聞こえる。日記の裏表紙がみえた。頭の中が<N>の文字で一杯になる。N,父のイニシャルではない。父が入院したのは一度きり。家に無言の帰宅をしたとき。あのとき、母は父以外の人に恋に落ちていたのだ。Nさんは母が追い返さなかったヘルパーさんの一人で、その縁でNさんの働いている施設に入った。
あの奇妙な風習、なぜ肉親の片づけでも線香をたく人がいるのかわかった。迷信深いからではない。他人とは自分以外の人のことなのだ。親子でも、血のつながりがあろうとなかろうと、自分以外はみな他人という考えの人がいる。うっかりそんな危険な人の怒りを買わないように、あの奇妙な風習があったのだ。生きている者を死者の理不尽な怒りから守るために。
死者。ああ、なんということ。わたしはお線香をあげずに片づけをしてしまったらしい。さっきから、妹の電話を受けてから窓ガラスに映る、青い顔をした母。その目は怒りに燃え、わたしを見ている。


来ているはずの姉に連絡したら、うめき声がするばかりで返事がない。仕事を早退して家に急ぐと二階で姉はたおれていた。くず箱の中に日記があった。お姉ちゃんならいつか探し出すと思った。東京に近いこの一軒家は築50年とはいえ売れば大金になる。お父さんの時は義兄さんがしゃしゃりでてきて大変だった。何回も話し合いを重ねてようやくお母さんのものになったけど、今度こそこの家を売ってお金が欲しいというにきまっている。今さらこの家を出るなんていや。あの言い伝えを信じていたわけではないけど、頼れるのはそれしかなかった。ごめんね、お姉ちゃんのためにお線香をあげるから、成仏してね。チーン。

#2000字のホラー

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