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グラフィックデザインとの出会い(6) ついに出会う


今から考えると就職活動の始動はとっくに遅く、卒業を目前に、未だ何をしたいかを分からず、決めきれず、彷徨う日々。
とはいえ卒業の日を迎えてしまうのでした。
いつ、なにに、どの様に、出会うかがとても大事な体験。
何事にもタイミングとその必然性が伴うという事を知るのでした。


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しぶしぶの就職活動。

卒業を迎え、特にしたい事も無く、何になりたいと言う夢もなく、デザインに関わる様な仕事よりも、当時ハマっていたフライフィッシングへ活路を見出そうとしていました。
しかしながらバブルが崩壊し、世の中は就職氷河期に突入していました。
釣具の業界でも、フライフィッシングというのはとても狭い世界で、取り扱っている所も少なく、とてもそれに関係する就職口などはなかなか無い。
フライフィッシング雑誌に載っていた家から1番近いところにあり、何度か訪れたことのあったフライフィッシングのお店にとりあえず電話してみました。


いわゆる電凸です。

「あの、、すみませんがバイトなんか募集されてたりしませんか?」

「。。。何処かでお知りになられたんですか?」

「いえ、、雑誌を見てお電話させて頂きました。」

「あ、、あぁ、、ち、ちょうど今、、スタッフが1人辞めることになりまして、、、一度来ていただけますか?」

「!!!」

「はい、是非!」


電凸成功。

ということで目出度く、とりあえずバイトとして、そこにお世話になることになりました。
お店を営むと共に、国内外から買い付けた商品と卸・販売をしたり、自社ブランドを開発し販売をしていました。またビデオを作成していたりと、小さく少人数ながらも手広く商売をされていました。自社ブランドの方は近所の職人さんが制作をされていて、物作りが好きなわたしは当然それに興味は無くはなく、職人さんへお届け物があるとすかさずかって出て何かとちょくちょく顔を出したりして、たまに飲みに連れて行って頂き悩みを聞いて頂いたり、、飲んで遅くなると泊めて頂いたり笑

お店は、割と手狭なお店で、店長がお一人、わたしも日曜日はお店当番があり、接客などさせて頂いていました。その他、卸部門、経理の人とわたしを含めて4〜5人の細々とした会社でした。
時々、その店員さん(わたし)を釣りに誘うお客様がいて、ご一緒した事があるのですがそのプレッシャーは半端ない。日頃、お店ではコレはアソコでこうすると中々良いですよなど、ウンチクを垂れながら道具を買わせる接客をしておりました。
フライフィッシングの道具は割と高価なものが多くお客様もそれに見合った方が多かった時代です。
いざ釣りにご同行するとなると、それを証明しなくてはいけません汗
如何に、まずお客様より先に魚を釣るか、、これが中々のプレッシャーでございました笑

そこのお店はメーカー卸として、毎年わと立派で綺麗なカタログを作っておりました。
社長が「カタログの担当したい人おる?」
芸大卒のわたしとしては当然即「はい!」と、何か釣り業界での制作物に携わりたかったのです。
そうすると直ぐに任命され、担当することになりました。

と言っても何をすれば良いかわかりません。
この時まだ、依頼する側の役割(クライアント)、それを受ける側の役割(制作会社)の違いを知りませんでした。
ひとまず何をすれば良いのかわからないので、とりあえず昨年度のカタログを広げ、物差しで色々測って紙に鉛筆と定規を使って枠取りやマージンの寸法を描いたり、、と今思えば、原寸でフォーマットを描こうとしてたんですね笑

程なく社長がわたしに「デザイン会社の人が来るから打ち合わせしとって」と。。
は・はいぃ。。。。

デザイン会社の方が来られました。既にフォーマットらしき線や枠取りをされた紙をお持ちになられました。その紙は明かにカタログに使用されている紙質とは違い、少し薄めの紙で、芸大生の頃によく使ったカラープリンターの出力でした。
あ、こう言う事。。なのね。と。
パソコンを使って仕事をすることは、見たことは無いけどおぼろげに既に知り得たことでした。

その後、しばらく打ち合わせを重ねるうちに、ラフスケッチやカンプが出来上がっていく様を間近に見ていて、あれ? わたしもしかしてコッチやなくて、アッチちゃうのん?・・・
と、気づき始めたのでした。


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出会いは突然に

コッチ=依頼側
アッチ=デザイン会社側


わたし「この仕事って言うのは、なんと言うんですか?」
デザイン会社の人「グラフィックデザインって言います」

この時、わたしは「グラフィックデザイン」という仕事を知ることになります。

「あっ」

それは「こ、、これが、、グ、グラフィック、、デザ、、デザインなのか。。」的な漫画やドラマではありませんが、その時「今更」な発見をしたのでした。

そして、これがわたしと「グラフィックデザインとの出会い」でした。

散々散々、引っ張った割に、勿体つけた割に、そうなのです、「出会いは突然に」、やってくるのです。

実はそのデザイン会社の人とお話しするうちに「まぁ、、ダメ元でもウチの会社受けてみたら?」
ということで、芸大時代の作品をまとめ、面接をして頂きましたが、、残念ながら不採用。。
そう上手くはいきません。

しかし、気持ちが決まれば早い。そこから先はわたしはデザイン会社探しに奔走するのです。
デザイン会社、、、イメージ的には白くてキレイなオフィスで、もはや時代は1人1人の机の上にはパソコンがあって、、みたいな職場のイメージがありました笑
しかしながら世の中は就職氷河期、しかも芸大といってもグラフィック出ではなく、卒業して1年が経とうかとしていて、経験もなく、なかなかそんなのを採用していただける就職先が簡単に見つかるわけはありません。
当時はまだメールや就職サイトなどない時代。就職雑誌や新聞の求人欄。そして履歴書を書き郵送でお送りする。ダメだと不採用通知が郵便で届きます。
そんな中でも、なんとか面接へこぎつけることの出来た会社へ赴くのです。
2〜3人ほどの会社で新聞広告を中心にされている所だったり、大きくても机にパソコンが置いてなかったり笑、ちょっと良い感じだったなと思っても不採用の通知が届いた日々が続きました。


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なかなか簡単にはいかない就職活動

就職活動を始めて3ヶ月ほど過ぎました。
そんなに沢山、面接に漕ぎ着けることができた会社は多くはなかったのですが、その中でも、あ、ここちょっといい感じ♡机の上にパソコンがいくつかあるし♡面接も少し話も弾んだし♡というデザイン会社もありました。
そんな期待の会社も、、、不採用の通知が。。。

流石にそんな状態が3ヶ月も続くと息切れがし始めます。
両親もわたしも同様、、、んんん・・・・という境地に。。。
その「ちょっといい感じ」だった会社から不採用通知が届いた時に、
わたしの母親は「なんでもいいからやらせてくれって、今から行ってみたら?」と、
もうなにふり構わず。わたしは直ぐにスーツに着替え、送り返された履歴書と不採用通知を握りしめ、電凸ならぬ、凸したのです。それは雪が積もる日でした。

そして、そのデザイン会社に到着。
わたし「あの、、先日面接して頂いた者なのですが、、」

もう一度、面接をして頂けました。
不採用通知を突っ返す。
後にも先にもこんな事はした事はありませんでしたが笑、そうして熱意が通じたのか、、、「とりあえずバイトからでも、、やってみる?」

こうして、わたしはグラフィックデザイナーとしてのスタートラインに立つことが出来たのでした。


大学受験からグラフィックデザイナーとして第一歩を踏み出すまでを6回に渡って赤裸々に語ってみた「グラフィックデザインとの出会い」でした。
最後まで読んでいただいた方がいらっしゃったなら、本当にありがとうございます。

さて、ここからは本題へ入っていきたいと思います!

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