見出し画像

東京に来て半年、振り返るふるさとのわたし。

針谷さん、こんばんは。

こっちはすっかり寒くなって、なんとなく寂しくなることが多くなりました。

今日は、そんな日のお話をします。

***

 仕事帰り、ぼんやりと駅に向かって歩いていると、金木犀の匂いに気付いた。

 シンガーソングライターがドルチェ&ガッバーナの香水で元恋人を思い出すのなら、私は金木犀の匂いで学生時代の自分を思い出す。

 大学の最寄り駅からキャンパスに向かう途中に階段があり、そこを上ると、立派な金木犀の木があった。それは本当にずるいもので、同じ場所に年中ずっと立っているのに、秋になった途端に存在を露わにする。

 だから、金木犀の匂いで思い出すのも、秋のわたしだ。

 一年前、"それ"が金木犀の木だと気付いたときのわたしは、朝ドラのヒロインのように目の前のことに全力で生きていた。

 2019年の8月末、わたしはある就活支援団体に入った。
 それからの毎日は、自分が出来ないことをどんどん知って落ち込むのと比例して、やってみたいことをどんどん見つけてワクワクする、という憂いと喜びが両立した時間だった。
 自分は話すのが下手だということ、気持ちだけでは考えを理解してもらえないということ、自分がいる世界はとてつもなく狭いということ、自分の価値観は、時に誰かにとっては受け入れ難いものであること。
 それらを知る度に、確かに落ち込んだ。
 でも、私にとって可能性でもあった。自分になかったものに触れる度に、細胞が入れ替わっていくようだった。
 話すよりも書くのが好きだと気付いたこと、熱意が伝わって応援してもらえることもあるということ、周りに発信したら、狭かった世界がちょっぴり広がったこと、自分の価値観は、人のために持つ必要はないということ。
 しんどさと楽しさ、無力感と効力感、諦めと期待の間を行ったり来たりしていた短い日々の中に、金木犀の木は立っていた。

 そこそこ仕事にも慣れてきて、可もなく不可もなく"こなす"ように毎日を過ごすようになっていたことに、今、この金木犀の匂いで気付いてしまった。

 金木犀の匂いで感じたノスタルジーは、朝ドラのような劇的な毎日へのロマンだったのかもしれない。


 地元、帰ろうかな。


 現実逃避かもしれないけれど、行けばあの頃の自分に会える気がした。

 

 風がちょっと、冷たかった。

***

針谷さんは体調崩されたりしていませんか?

いつも忙しそうですが、たまにはあったかいものでも飲んで、ゆっくり休んでくださいね。

針谷さんはこの季節に何を思うのか、読むのが楽しみです。

お返事お待ちしてます。


20201003 いわばみずき



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?