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束の間は、あまりに苦しくて愛おしい

「束の間の一花」を読んでいる。
(以下、ネタバレを含みます。)

余命宣告を受けてから数年が過ぎ、いつ終わるかも分からない日々を生きる女子大生の一花と、同じく余命幾ばくもない元准教授の萬木先生の束の間の、最期の恋の物語だ。

タイミングこそ違えど、お互いが出会ったことで彼らの僅かな「生」が、手放すことを惜しむほど、憎たらしいほど明るくなってしまった。そんな2人が日々を噛み締めるように生きている話。季節の移り変わりが生々しい。死と隣り合わせの2人とは正反対の、眩いばかりの生命力。
ドキドキしながら読んだ。苦しくなりながら読んだ。どうして、と思いながら読んだ。

結末を見届けていないからまだ分からないのだけど、2人の距離は少しずつ、少しずつ近づいていく。萬木先生が生きる希望だからここまで生きてこれた。それこそ「死ぬほど好きです」と真っ直ぐ伝える一花と、教師を辞め、半ば余生を諦めていたところを彼女と再会したことで日々に彩りを取り戻していく萬木先生が惹かれ合うのは読んでいてもわかる。伝わってくる。2人は両想いなのだと思う。

だけど、そうだとしても、彼らには時間が無い。
結ばれたとしてもお別れが必ず来る、それも遅かれ早かれだ。どうして、と思うのは読者である私のわがままだ。一花の弟である大樹が「姉ちゃんに長生きして欲しいと思うのは俺のわがままなのかもしれない」と言っていたように、彼らの時間が少しでも長くあれと願ってしまうのは、一花と萬木先生の望むものでは無いのかもしれない。

でも、願わずにいられない。
だから苦しくて愛おしくてしょうがない。


少し、私の話をする。
私がこの「束の間の一花」という作品に何故ここまで心を揺さぶられるのか、少し心当たりがあるのだ。

18歳の時、夏休みの4週間だけ通っていた予備校で好きな先生がいた。今となっては憧れとか思慕の延長線だったのかもしれない。だけど、多かれ少なかれしんどかった予備校での時間を乗り越えられたのはその先生がいたからだ。その人は小論文担当の先生だった。

私の担当から外れたあとも、先生は私のことをよく気にかけてくれた。あだ名を付けてくれたり、不快な気分にならない程度にからかってくれる事が何より嬉しかった。先生の顔を見るために通っていたと言っても過言ではないほど。

だけど、その当時私にも時間がなかった。
それは一花たちのような余命ではない。もっと大したことの無いタイムリミットだった。その頃私は海外に住んでいて、一時帰国を利用して予備校に通っていた。だから予備校を辞めるときが必ず来るということ。辞めたあとはもう二度とここには来れないかもしれないということ。そんなタイムリミット。

私は一花のように先生に気持ちを伝えることはしなかった、否、出来なかった。ここで別れたらもう二度と会えなくなるかもしれないと分かっていたのだけど。


それから5年経って今になる。
予備校にいた頃に仲が良かった別の先生から聞いた、好きだった先生の最寄り駅。今でも真偽は分からない。だけどあの頃より簡単に行けるようになってしまって、ああどうしようかな、なんて思うことが稀にある。私も一花みたいに、ちょっと駅で待ってたら会えないだろうかなんてことを思ってしまった。先生がそこに住んでいるのかも、今でも住んでいるのかも、何なら苗字くらいしかその人のことを知らないのに。

「束の間の一花」を読んでから、一花と萬木先生のこと、そして自分の思い出を考えることをやめられなくなってしまった。綺麗な思い出に昇華されていた気持ちが、何だか手の中に戻ってきてしまったみたいだ。参った。


先生、お元気ですか。
私は今でも先生が別れ際にノートの切れ端に走り書きしてくれたメッセージを、パスケースにずっと、ずっと入れています。願わくばもう一回くらい会って話ができたら、なんて。


この作品は私にとって大事なものになる気がしている。だから彼らの行く末をさいごまで見届けたい。

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