見出し画像

心は「整える」ものでなく「整う」もの ~初めての座禅体験記~

先日、生まれて初めて鎌倉の寺で座禅体験をした。こうしたストイックな世界には縁遠く、座禅も一度はしてみたいと漠然と思いつつ、なかなかに高いハードルを感じながら今まで過ごしてきた。今回も誘いに乗っかった形での初体験。結論から言えば、想像よりはるかに良かった。また行きたいし、ポイントをつかめば寺に行かずとも家でもどこでもできるものだとわかった。何より、心は「整える」ものではなく、「整う」ものだと体感できた。日本にいるからには一度は体験してみることをお勧めする。

そもそも私が抱いていた座禅は、自分を見つめ、我慢の末に煩悩を捨て去る辛い修行のイメージだった。しかし実際は、ラクな格好をしながら自然と一体化する行為。考えることや悩むことから自由になり、「今ここにある」感覚にすべてを委ねる究極の非生産的行為。自分が動物であることを思い出し、人間本来の感覚を取り戻していく作業に思えた。自分を見つめることや内省、自己理解でもない。ひたすら「無」になることで、意識下にある思考の断片や身体感覚が整っていく不思議な感覚だった。

私が体験したプログラムは、まず住職から座禅の意義や座り方に関するレクチャーを受け、その後、実際に座禅をするものだった。座禅では、まず足をラクな組み方で組む(正式な組み方もあるが、気を取られてはいけないので初心者は自分にとってラクな組み方でOK)。次に、手を添える。目は、薄目と完全につぶった状態の中間くらいに開く。これで準備万端。まずは5分間の座禅を行い、インターバル。その間は一切のことを考えず、身体と座布団、畳、風などとの接点をただ感じる。音を聞き、息をしながら、ただすべてを感じる。「明日は歯医者で気が重い」「自分のこういうところを直したい」「お腹がすいたからお昼はハンバーグを食べたいなぁ」など邪念がよぎったらNG。一方で、「鳥の声が聞こえるなぁ」「畳と足が接しているところが冷たいなぁ」「額に汗がにじんでいるなぁ」とあるがままを感じるのはOKとされた。doではなくbe。評価はせず、ありのままを受け入れる。5分間の座禅の後は10分間に時間を延ばし再びトライ。最後は15分間の座禅を行い、体験プログラムは終了した。

合計30分間の座禅体験。初めての人はつい考え事をしてしまったり、どうしても邪念がよぎってしまうケースが多いというが、私自身はほぼ無心でいることができた。終わってみれば頭がすっきり。何も考えないって気持ちいい。この感覚、近いものを感じたことがある。フェリーに乗りながら海をぼーっと眺めた時や、森を一人で散策した時。自然と一体になりながら、日々の悩みがちっぽけなことに思えて、頭と心が(勝手に)すっきり整う感覚だった。

座禅は、「心」と「呼吸」と「姿勢」を整える行為だと教わった。でも、整えようとしなくていい。何かをしようとはせず、ただ「今ここ」を感じればいい。だから、家でもできるし、1分間でも効果はある。むしろ、1回100分やるよりも毎日1分やり続けた方が効果はあるそうだ。

ちなみに、座禅の時によく登場する肩をピシっと叩かれる棒「警策(きょうさく)」も登場。この棒は、うまくできていない人が叩かれる罰ゲームだと思っていたが、それは間違い。実際は、座禅をする人が「今ここ」に集中できず、邪念や雑念が湧いたときに自らそれらを取り払ってもらうために住職にお願いし、住職がそれに応じて叩くもの。本人のより良い座禅を手助けする行為なのだそうだ。叩く前も叩いた後もお互いにお辞儀をするのは、対等な関係で相手に礼を尽くすという表現だと知った。

今回は写経体験もしたのだが、写経はアシスト付きの座禅のようなもので、書くという行為に集中し「今ここ」を感じるもの。集中しやすくなるように「書」という手段を用いているだけで、本質は座禅と同じなのだそうだ。そう言われると、無心で掃除や皿洗い、機械作業、運動をしているとき、なぜか心地よい感覚を抱くことがある。きっとそれに近いのだろう。

生きていると日々ストレスや疲れをまとう。人間は脳が高度に発達して、考える、喜ぶ、悲しむ、愛する、憎むなど動物には難しいことができるようになった。それでも現代の複雑で情報量が多い世の中では、それが極度の疲労や自己効力感の低下、ネガティブ感情や心身の不調、さらには不眠につながることも少なくない。動物は、眠る、食べる、排泄する、動く、休むのように実にシンプル。悩みもせず考えもしない。人間も動物である以上、根っこは同じ。本来はシンプルな生活をするのを心地よく感じるようプログラムされた遺伝子を持っているにも関わらず、短期間に脳が発達してしまったので、心と体のギャップが激しくなり、それが様々な現代病を引き起こしていると感じる。だから、現代人は意識的に脳(心)と体を休め、自分の中にある人間本来の感覚、動物性を取り戻すことが大切だ。

座禅を終えて外に出ると、風が気持ちよく、木々が美しく感じられた。同じ一日、同じ場所でも、心が整うと「今ここ」のありがたみを感じられることを実感し、ちょっとうれしくなった。

参考:首都圏で座禅体験ができる場所

➀円覚寺(北鎌倉)

全生庵(谷中)

龍雲寺(世田谷)

SUWARU MEDITATION STUDIO(広尾)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?