何でも最もエネルギーを使うのは「静」から「動」に最初に自分を動かすところ、そこだけ乗り越えられればいい
何をするにも腰が重くて億劫になる、動くのがめんどくさい、朝会社に行きたくない、職場で朝スタッフと顔を1番に合わせるのが憂鬱、などと感じることがあります。
別に会社や職場のスタッフが嫌いなわけではない、でもどうしてもそう思ってしまうのは、私たちは最初に自分自身を動かす部分で最大のエネルギーを消費するからです。
エアコンやパソコンやあらゆる機械もそうです、初動の時が最も電力を必要とします。
私たちはずっとじっとしている状態から、立ち上がって動くのには多くのパワーがいります。
先ほどまで自分1人しかいなくて、静かに喋らないで黙っていたのに、人が現れてその人と話さなければならない場面になる時、そこには多くのエネルギーを必要とします。
つまり「静」から「動」に移る時です。体力、筋力、意識の力をフル回転させなければなりません。
それが疲れるなとか、めんどくさいなと思ってしまう理由なのです。
でも何ごとでも一旦スタートさせてしまえば、あとは惰性で自動的にずっと動いてくれます。
電化製品もそうですよね。稼働時に最も電力を消費し、その後は最初より少ない電力で動き続ける、だから一度スイッチをオンにした機械は、消してまた点けなおしたりしない方がいいと言われているのです。その方が電気代が掛かります。
だから未来のやるべき事にたいして憂鬱になってしまう時、それらのやる事自体すべてについて面倒くさいと思うのではなく、最初に始める時の部分だけがエネルギーが必要でパワーがいるから疲れを感じるのだ、しかしその後は惰性で勝手に自動的に体が動いてくれるので楽に前に進められるのだ、ということを信じていれば気持ちが少し明るくなります。
人間は自分の体が疲れるのがイヤなのは当然なので、物事を「静」の状態から「動」の状態へ持っていくときに「めんどくさいな」とか「億劫になるな」とか「しんどいなあ」とか「かったるいなあ」などと思っても仕方がないし、自分にそれを許してもいいのです。
しかしそんな風に思ったからと言って、やること自体が嫌いというわけではないし、いちど稼働させられたらあとはどんどん楽になっていくわけですから、自分のエンジンをスタートさせる面倒くささやしんどさその物を楽しんでしまうしかないのかもしれません。
最初に腰を上げる、言葉を発する、などの初動の部分を乗り越えればいいだけなのです。
「しんどいのは最初の部分だけなんだ」と分っているだけでかなり違うと思います。