きっかけは「ガスとやかん」。自分らしく生きる、と決めた。|#40
『スーーッ…スーーッ…』
規則正しく深く繰り返される娘の寝息を確認し、寝かしつけた布団からそっと抜け出す。
気配を殺して。
まるで忍者だ。
もう、物音くらいでは起きなくなったのに。
4年間、1日も欠かさず続けた「忍者」が
癖になっている。
子どもとの布団は温もりに満たされているから
出た瞬間、身体にまとう空気がヒヤッとする。
思わずくしゃみを2回。
ああ、カーテンが少し空いているのか。
隙間から入る空気が冷たい季節だ。
カーテンを閉めなおし、キッチンへ向かう。
とりあえず白湯でも飲んで、あったまろう。
『チチチチチ…ボワッ!』
もう何年使っているかしら。
あちこち焦げついたやかん。
水をたっぷり入れ、ガスコンロの火にかける。
薄暗いキッチンを炎の青さが淡く照らす。
*
やかんの取っ手に手を添えて
ガスの温かさを感じ、ぼーっとする一人きりの時間。
いや、正確にはぼーっとはしてない。
頭の中には雑多な思いが巡っている。
何も考えず「無」の時間を過ごせたら…
なんて、これまた考えてしまう。
考えているのは、だいたい仕事のことだ。
*
昔から「デキる」評価をもらいやすかった。
地方の小さなコミュニティで生きてきたせいもあるだろう、
何かちょっとできると
すぐ評価をもらえる、そんな人生だった。
人間は欲深い。
『評価なんて気にしていない』とうそぶきつつ
内心常に気になっていた。
一度得た評価が下がらないように
より高い評価を得られるように、
ストイックに努力し続けた。
そう、
私は「デキる人間」になりたかった。
デキる人間、って言われたかったんだ。
見ないふりをしていた自分の本心が
急にクローズアップされ、少しだけ鼓動が早まる。
*
「デキる人間」って、どんな人?
いつも忙しそうで、
いつも時間に追われている
そんな印象。
ずっと走り続けてきた、社会に出てからずっと。
子育てが始まっても、スタンスは同じ。
完璧にこなそう
良い親であろう
一人で全部できるから
私は大丈夫だから…
たまに悲鳴を上げる心身は、
適当にごまかしながらやってきた。
*
『シューッ…』
ガスが小さな音を立てている。
『コポコポ…』
温まり始めた水が、やかんの内側で回る音が聞こえる。
ガスの青い炎が思考をじんわりと温める。
「お湯が沸くのを待っている」なんて、
もうずいぶん長い間していない。
子どもの頃は毎日だったな。
母親に「お湯沸かしてるから、ちょっとやかん見てて!」と頼まれ、ガスのそばでじっと番をしていたっけ。
「おかあーさーーん、沸いたよーーー!」
大きな声で知らせたりして。
*
『シューッ……コポコポ、ゴボッ…コポコポ』
あ。
いま、肩から何かが降りた気がした。
思考の緊張がゆるんだ気がした。
そんなに全方向に力を入れなくてもいいんじゃないかな。
誰かからの評価を気にし、
自分の時間を「評価」のために費やすことなんて、
しなくていいんじゃないかな。
これまで詰めすぎてきた。
効率だ、成果だ、実績だと
知らない人がつくった基準だけを見て
ゴールのないラットレースに命を削ってきた。
生き方の変え時かもしれないな。
周りからの評価は、とりあえずいい。
自分の人生だ。
自分の軸と足でしっかり立ち、歩むんだ。
そんな新しい生き方をしてみたくなった。
「フーーーーーッ……」
深呼吸。
背筋が伸びる。
ついでに口角も上げてみた。
うん、いい感じ。
「自分らしく」生きてみよう。
今、この瞬間から。
「自分らしく」がどんな姿なのか、
そこから探してみよう。
人生は、まだ長いから。
ガスの青い火と温かいやさしさにふれて、
人生を見つめなおした5分間。
たった5分だったけど、
宝物の5分間になりそうだ。
あ、お湯が沸いた。
一緒に楽しみながら高め合える方と沢山繋がりたいと思っています!もしよろしければ感想をコメントしていただけると、とっても嬉しいです。それだけで十分です!コメントには必ずお返事します。