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指の間をさらさらと流れ落ちてくのは記憶(2020/6/15-21の日記)


2020年6月15日(月)

春先に蒔いたパクチーの種。今は5cmくらいの高さになり、少しづつ葉を摘んで食べようかなという頃。鉢の縁に蟻と蜘蛛がいる。蜘蛛は縁の真ん中に居座り、蟻の行く手を阻んでいる。蟻は蜘蛛から逃げたり、回り道を探したり蟻同士で触覚を触れ合いながら何かを伝えている。

それを見た娘は、枝を拾い、蜘蛛をどかした。「これでありさんとおれるね」と。どうやら私たちの心の中には、弱い者を助けたいという気持ちがセットされているみたい。もしくは、自分が感情移入したいと思う、どちらかに感情を寄せてしまうのかも。

一時期誰よりも親しくしてた人から荷物が届く。中に入ってたのは空虚。ブラックホールに飲み込まれたくない。

2020年6月16日(火)

手を使って黙々と作業していると、頭の中で寸劇が繰り広げられる。これから起きるかもしれないことを何パターンか想定しては、それに対する自分の答えを練る。または自分の感情をなぞる。こうやって手を動かし、頭はフリーな状態で、自分の思考の流れを客観的に見る時間はいい。今自分が何に思考を取られているのかが見えてくる。

この夏はいくつかグッズを作るつもり。物販の色々が学べて勉強になる夏。そしてなにより、可愛いものができそうで、興奮する。売れるかなあという小さな不安、そして、こんなに可愛いんだから売れるよねという自信、それから、売れなかったら売る努力をすればいいだけか!という能天気さがないまじる。

2020年6月17日(水)

不意打ちのLINEに泣く。本当に涙がポロポロこぼれた。うれし涙というか、感動というか。数年前の私にこの文面を見せてあげたいくらい。こういう時、私は本当に人のことを信頼できていないなあと思う。丸腰でいられる人は強い人だ。私は武装しがちだ。強くなりたい。

午前中のミーティングで、視座の高さがどこにあるのかを思い知る。私は、手の届く範囲で叶えられそうなことだけを積み重ねて今があるけれど、そんなのびゅんと超えて叶えようとする人や、人の夢をもっと上まで引っ張り上げて叶える手助けをしようとする人の姿を見て、自分の視座の低さを知る。そんなこと言ったって、きっとこれからも身の丈にあった挑戦をするのだろうけど。でもいつでもこうやって引き上げようとしてくれる人に出会えるのは、私のひとつの才能だと思う。

2020年6月18日(木)

松本近郊のゲストハウス、夏休み期間に県外の方からのたくさんの予約が入っているらしい。一方、 DMM英会話の講師の方、ホンジュラスの方やフィリピンの方に聞いたところではまだロックダウン中らしい。EUでは少しずつ国境が開かれるというニュースも。私も7月末には東京に行こうかと考え中。この世界的流行、どうなっていくんだろう。

数日間続いたモヤモヤが嘘みたいに心が晴れている。怖い韓国ドラマを見るのをやめたせいかもしれない。嫌な気持ちになるものは、ドラマであれ極力避けた方がいいと再確認。

2020年6月19日(金)

松本市美術館で開催中の柚木沙弥郎展を見にいく。97歳の現役染色家で、「柚木沙弥郎のいま」と題した本展では、最近の作品を多く見ることができる。

70代で染色以外の新しい表現方法を模索しただとか、私の年齢なんてまだまだひよっこどころか卵だな!と思えるくらい、年齢を経ても柔軟に挑戦し続けている人。これを見て刺激を受けない人なんているんだろうか。なーんて大袈裟に考えてしまうほど勇気をくれる展示だった。

2020年6月20日(土)

夜、友達と長々とLINE。そろそろ寝ようとその子が言ったタイミングで、別の友達からLINE。こちらは手短に、でもいつも通り笑いと愛しかない言葉のやり取りを。そして、おやすみ。またね。と言ったタイミングで、定例の友達zoomのお知らせが入る。そうだった、今日だった。結局深夜になり、3時前まで4人でおしゃべり。この会はいつもこんな。喋っても喋っても喋り足りない。仕事のこと、恋人のこと、子供のこと、最近見たドラマのこと…後いったい何を話したんだっけ。この夜話した友達たちはみんな、ここ3-4年のうちに出会った人だ。私の人生はこの3−4年を区切りに一変した。こんな風に、私の存在自体を愛してくれる友達に囲まれていること、幸せなことだなあとぬくぬくしながらお布団に入る。この辺りの話、改めてnoteに書こうかなって思ってる(気分が乗った時にね)

2020年6月21日(日) 

夏至。去年の夏至のことを思い出す。山梨でのあの時間は暖かく、愛おしくてたまらない1日になった。季節は過ぎ、色々なことが変化していくけれど、あの日あの1日を愛おしく感じたという私の気持ちはそのままここにある。

出先で、北の空に雲から黒い柱がかかってるのが見えた。雷雨が降ってるんだろうか。こっちは晴れてるのに、向こうは雨。とか、そういう自然現象がなぜがとても好きだ。

夕方には日食だとうことで、娘と庭で見る。確かに左下が欠けてる。日食は、約10年前の朝を思い出させる。その頃最寄り駅だった成城学園前駅の駅前で見た日食。木漏れ日が三日月の形になっていた。その前の日食の記憶は、八ヶ岳の麓で。楽しみ勇んで向かったものの、曇りで見えなかった。

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思い出、というのは積み重なる。こぼれていく記憶もある。でもそれでいいじゃないかと思う。覚えていられないなら、それくらいの記憶なんだ。



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