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他人の中にうつる自分自身のこと

昨日お友だちふたりと話をしていて、

Aちゃんは
「みゆきちゃんって、すごい男らしいよね」

Bちゃんは
「みゆきちゃんって、芯が強いよね」

と私のことを表現してくれました。
最初、「男らしい」という人生初の言葉にものすごく戸惑いました。ショックと言ってもいい。

でも、この光景を見ていて本当に腑に落ちたのだけど。

ふたりは、きっと私の中にある、ある部分を自分なりに表現している。
そしてそれは、きっと、言ってる本人のことなんだ。

だからAちゃんは自分の「男らしい」部分に反応して、その「男らしい」部分を私に投影して見ている。

Bちゃんは自分の「芯が強い」部分に反応して、その「芯が強い」部分を私に投影して見ている。

私たちの中には、例えば「女らしい」「男らしい」「芯が強い」「コロコロ変わる」とか色々な要素がごちゃまぜに存在していて、接する相手に何をみるかは全て自分が反応しているだけの話なんだ。

本当にモノゴトは、いいも悪いもなくフラットなんだなあと、すこし理解できました。それがいいか悪いかをジャッジしているのは、自分自身。これまでの思い込みや植えつけられた価値観。

そして「男らしい」は嬉しくない!「芯が強い」は嬉しい!と感じた私もそう。本当はフラットな情報に、自分の認めたくない部分を見て拒否してるんだな。「ふむふむ、私はそう感じてるんだな。ショックだったねー。なんで嫌だと感じたんだろう?」って見てあげることができるようになった。のが、今の私。

ちなみに私は、Aちゃんは人のことも自分のことも受容して、優しさが湧き出るようになったなーと感じて、Bちゃんは自信がみなぎって落ち着いたなーと感じました。これも投影、鏡とするなら、私も受容と優しさ、自信と落ち着きが生まれたのかもしれない。というか、そう思いたい。

他人の中にうつる自分自身のこと。


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