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「学び直し」という言葉への違和感

Miyu

ここ数年で「学び直し」という言葉を聞く機会が増えた気がする。この言葉に対してなんとも表現しがたいモヤっと感があるので、今回はそれがなぜなのかを、わたしなりに考えていきたいと思う。

学び「直す」??

一番引っかかるのが学び「直し」という点だ。リアルタイムの自分の人生に必要なことを学ぶのだから、それは何かの「やり直し」ではないと思う。この「過去にやるべきであったことを遅ればせながらやり直す」ようなニュアンスが、わたしとしてはちょっとネガティブに感じてしまう。

リカレント教育、リスキリング、生涯学習の違い

学び直しの類似の言葉に「リカレント教育」「リスキリング」「生涯学習」などがあると思う。それぞれの言葉の違いについてざっくりではあるが調べたのが、以下である。

▶リカレント教育
仕事に生かすための知識やスキルを学ぶこと。
▶リスキリング
新しい職業に就くために、あるいは、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するために、必要なスキルを獲得する/させること。
▶生涯学習
生涯にわたり行うあらゆる学習。趣味など仕事に無関係なことや「生きがい」に通じる内容も学習の対象に含まれる。

※参考:政府広報オンラインHP経済産業省HP

なるほど。「リカレント教育」は、現在就いている仕事についての知識や技術を学び、今や近い未来のためのスキルアップ的な色が強そうだ。仕事のための資格取得などもここに該当するようだ。

「リスキリング」は、例えばDX(デジタルトランスフォーメーション)などの新しい技術やこれからの時代に向けた新しいもの、現在はまだない仕事に備えての未来を見据えた学びのようだ。また、未来のために会社として新しい技術などを社員に教育していく人材育成もリスキリングに入る様子である。

「生涯学習」は、とくに仕事に役立つだとかそういうことは特に重要視しない、学習の幅も時間軸もゆったりとした自由な学びということらしい。

それぞれの言葉にはもっと細かい解釈もあるとは思うが、その学びは「今」のためなのか「未来」を見据えてのものなのか、それともこれから続いていく自分の人生そのものを充実させていくためのものなのか、というところの違いが大きい気がする。

違和感の正体。過去のわたしはもういない

今や未来をよくするための学びであることは、目的が何であれ共通する部分だと思う。どの学びも時間軸は「過去」にはないにも関わらず、「学び直し」というどこか過去のやり直しや埋め合わせであるかのような言い回しが、なんともわたしにとって気持ち悪い違和感となっているのだ。

例え、高校や大学を卒業していない人が大人になってから高校生や大学生になったとしても、10代20代の自分のやり直しはできない。ただ、世の中の多くの人が10代20代に学んだことであったとしても、そのタイミングが違っただけで、今を生きている自分の延長線上にある人生をよりよくしていくための学びであることには違いない。

若いうちにやっておけばよかった、もっと早くに始めるべきだった、と後悔することは誰だってあるが、「今だからこそ」より深く意味を感じられたり理解できることも多くある。わたしは放送大学で心理学を中心に学んでいるが、18歳のわたしの人生経験やものの見方ではこんなに深く理解することはできなかっただろうし、これから経験を積んで50歳になったときにテキストを読み返せばまた違った発見もあるのだろう。

出会ったそのときが学びのタイミング

わたしは放送大学の科目一覧を眺めていると、「なんにも知らないまま死んでいくんだろうなぁ」とちょっと切ないような悔しいような気持ちになる。本屋さんや図書館に行ったときも同じ気持ちになる。だからこそ、そんな中から出会ってピンときたものに関しては、しっかり味わって自分の血肉にしていきたい。

もし、あなたが学びに対して「今更」と思うのであれば、それはあまりにもったいない。学びに早すぎるも遅すぎるも、きっとない。今はお金をかけずに学べる方法も多くあるし、とても恵まれた時代に生きていると思う。(その方法については別の記事で改めてまとめたい)

学びたいものに出会ったり、その存在を不意に思い出したそのときが、あなたの人生にとっての運命のタイミングであるはずだ。

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