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受験は団体戦 高校時代の恩師の言葉を思い出して考えたこと

大学受験期に高校の先生に散々言われた言葉をふと思い出した。
最近、受験についての話を聞く機会が増え、他の人の受験期の経験を聞くことで、自分の受験期はどんなだったかを思い出す。


私が通っていた高校は俗にいう「二番手校」で、学区内には県内でもトップの学校があった。
二番手校が故のコンプレックスが多くある学校で、学校内外でトップ校と比較されることも多々あり、とにかく負けている感を感じることが多かった。
校則も服装も学校の雰囲気も厳しく、毎日何かが怖かったこともこのコンプレックスのせいかもしれない。

とはいえ、私はトップ校に行けるような学力は持ち合わせていなかったはおろか、この学校だって高校受験期に死ぬほど勉強してやっと片手だけ引っかかったレベルだった。
合格発表を受けて父親に電話したら、これまでほとんど私を褒めたことのない父が「俺よりもいい学校に受かったとじいちゃんばあちゃんに連絡してやれ」という父史上最上級の褒め言葉をもらった。

大学受験は高校入学時点から始まっている。ここから3年間をどう過ごすかで受験の合否は変わる。
そう言われ続けた3年間だったし、1年生の時から受験に対する説明会や進路指導があった。
3年生の先輩が毎朝早くから職員室前の自習スペースで必死に勉強している後ろ姿も毎日たくさん見かけた。

受験勉強本番を迎える高校3年に上ってすぐ、学年主任の理科の先生が言ったのが、
「受験は団体戦です」
という言葉。

受験勉強は自分が勉強するかどうかだし、受験会場で試験を受けるのも自分ひとり、受験なんて孤独な戦いではないか、と思った。
団体戦の意味がよくわからなかったし、どうしてそんなことを言うのだろうと思っていた。

でも、今振り返るとその言葉の意味がよくわかる。


高校3年になってから放課後課外が始まった。
正規の授業が終わった後に1時間半、課外授業を受ける。
毎日出る大量の課題に翌日の授業の予習、小テストの勉強、授業中だけじゃ理解できないからその日の授業の復習をこなす上に、課外授業で自分の時間は減るのに受験対策をしなければならない。
そして毎週のように土曜日は模試を受け、月曜日までに復習をしておかなければならない。
自分のためのことだけど、先生に怒られることが怖くて、周りに置いていかれることが怖くて、やらなければならない、という気持ちでやっていた。

朝は7時半から朝課外だし、授業は6〜7時限目まであるし、放課後課外まで加わって、毎日毎日24時間じゃ足りない。
まだふわふわしていた私には友だちと話す時間もテレビを見る時間もゆっくりする時間も必要だった。
それでも、周りの子たちが同じことをこなしているから、なんとなくそれに乗っかって、おいていかれないように、どうにかこなした。

夏休みになるとチアの練習が始まり、午前中の課外授業を受けてそのまま20時まで毎日練習。
土日は朝から夕方までひたすら練習。
部活もしていなかったし運動が苦手な私は、毎日運動することが大変だったけど、3年間続けた体育大会のチアだけは絶対やりたかった。
練習が終わったら近所の大学の図書館や家で自習。
夏休みだけ自習室を使いたくて塾にも通った。
チアの仲間たちも、寝不足の中必死にフリを覚え、ついてきてくれてることがわかったから、私が下手なのは許されないと思った。

お盆休みを過ぎるとすぐに夏休みが終わり体育大会に向けての練習が始まる。
福岡の高校生ならわかるだろうが、体育大会は高校生活の一大イベント。
手を抜くことなんて許されないし、抜く気なんてさらさらなかった。
ダンスに応援合戦、チアの練習、毎日必死にこなして、授業も受け、全部が終わった後に勉強した。

目まぐるしく過ぎる3年生に焦りを感じ、自分の成績はたいして上がらないのに周りがどんどん成績を上げているように思って、模試の結果に一喜一憂し、それでも夏休みに行ったオープンキャンパスで大学生活を夢見た。

体育大会が終わると、一気に受験モード。
周りの目が明らかに変わって、私もそれにのらなきゃいけないと思ったし、進路希望も固まり、ひたすらそれに向けて勉強した。
文系なのに英語は苦手だし、5教科9科目なんて今思えばよく勉強してたなと思う。
教室内で雑談することも許されない雰囲気で、話したければ廊下に出るしかない。
それまで友だちと一緒にいた昼休みは、みんな参考書を片手にご飯を食べ、たくあんを噛むポリポリという音が教室に響く。
恥ずかしいから、母にお願いして音がなる食べ物は入れないでもらった。

その頃は、朝学校に行って夕方課外を終え、近所の大学の図書館で勉強する、ひたすらそれを繰り返す日々。
唯一の楽しみは学校から大学まで移動する間の100円ローソンで買うおやつ。
土日も模試を受け、その足で大学の図書館前の庭でお昼を食べ、勉強する。
毎日その繰り返しだったけど、周りがやってるからやめるわけにはいかなかった。

気がついたらセンター試験を受けていた。
思ったよりもいい成績と第一志望の判定が良くなっていたことが気を大きくし、国立二次試験に向けての勉強。
文系だったから国・英の授業を毎日毎日繰り返し受けた。
その間に私立の滑り止めも受けた。
私立を受けた当日に帰らなくて担任から怒りの電話がかかってきた。
そのくらい担任も本気で向き合ってくれてたんだと思う。

国立の二次試験はダメだった。
そのまま後期の勉強に入り、小論文を毎日書いて添削してもらった。
前期が終わると高校も卒業式を終えそれぞれで勉強していたから、友だちと会うことは減り、初めて自分の力で受験に取り組まなきゃいけなくなっていた。
ひとりじゃ真剣に勉強できてなかった気がする。
そして、結局東京の短大に進学を決め、後期も受験し、私の受験は終わった。


振り返ると、あの時の学年主任の言葉の意味がよくわかる。
受験は団体戦。
ひとりじゃ戦えなかったし、同じ目標を持った人たちが周りにいて、その人たちがいたから戦えたんだと思う。

短大から大学へ編入するときも、周りには編入を目指す友だちが常にいて、その子たちがいたから短大で遊ぶだけじゃなくてちゃんと受験勉強もできたし講義もちゃんと出て大学へ行けた。

受験は本当に大変な戦いで、人生を左右する。
受かったから人生が成功、落ちたから失敗、というわけじゃなく、そこでやり切ることができるか、必死になれるかが人生を左右すると思う。
私は本当に辛かったし、今楽ができるならいいや、もうやめたい、と思うことも1度や2度じゃなかった。
それでも必死に勉強し続けられたのは環境のお陰でしかないと思う。

団体戦だから、誰かがサボればみんなに迷惑がかかるけど、団体戦だからこそ、誰かのおかげで自分も一緒に必死になれた。
高校は大っ嫌いだったし、辛いことばっかりだったけど、この環境は恵まれていたのだと大人になった今、あの時の先生の言葉が身に染みてわかる。

大学へ行くことが全てではないし、大学へ行くことが正解だとも思わない。
でも、こういう経験があることは、人生において自分を支える軸になると思うから、一生懸命がんばれる環境を与えてもらえるときはそれに乗っかって必死に食らいついた方が、しんどい時にあの頃はもっと辛かったからまだがんばれる、って強くなれるんじゃないかと思う。

私の受験経験なんて大した話ではないし、結局第一志望だった国立は落ちて、短大に進学したから高校の進学実績にも載せてもらえなかったくらいの落ちこぼれだったけど、受験に向けて努力したっていう経験は私の財産になっていると思う。
人に自慢できるようなものはほとんど持っていないけど、自分を奮い立たせたり、心を支えたりすることができる経験を少しでも多く持っていることは、自分のためになると思うから、誰かに届いたらいいなと思う。

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